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祈ってきたこと、信じてきたこと [宗教]

日本人の宗教観について、
最近、感じること。

それは神仏に対して祈ってきたけど、
それは現世への祈り。
もちろん、そこには信じる要素もあるけれど、
本当に信じてきたのは、自分が先祖になるということ。
つまり、現世と来世を神仏と先祖で棲み分けてきたということ。

阿弥陀堂より御影堂の方が大きいのは何故 [宗教]

昨日は京都で仕事。
京都に来ると必ず西本願寺さん、あるいは東本願寺さんの側を通ります。

学生時代のことですが、
初めて東本願寺を訪れた時、
阿弥陀堂と御影堂の意味がよく分からず、
混乱したことを覚えています。
その混乱の一つは、御影堂の方が阿弥陀堂よりも大きいということにあります。

御影堂は浄土真宗の宗祖、親鸞上人のための御堂です。
でも、阿弥陀堂よりも、なぜ御影堂の方が大きいのでしょうか?

先日、読んだ山折哲雄さんの『日本人の行く浄土』の中にも、同様の指摘がありました。

どうして?という疑問に答えることが出来る方、是非書き込みを。

薄くなったのは民間信仰 [宗教]

 仏壇が売れないという。当然のことだろう。売れない理由は幾つでも見つかるが、売れる理由を探すのは難しい。売れない理由は売れていた理由の裏返しでもある。

 売れていた理由の一つは「土地が売れたから」からだ。戦後、農地改革によって小作人の多くは自分の農地を手にした。農地改革では日本全国七割の農地がただ同然に小作人に与えられ(地主からすれば事実上の没収)、その土地が昭和四十年代に値上がり。土地売却で大きな現金を得た(ただ同然で)農家は、こぞって大型の仏壇を買い求めた。

 時期的に言えば、昭和四十年代は戦没者の二十三回忌、二十七回忌に当たり、そのことが仏壇ブームを作り出す大きな要因となった。

 現在、小紙では毎月の連載「仏壇史」で仏間の様式を紹介しているが、この連載で登場する民家の調査は昭和三十年代後半から昭和四十年代にかけて行われている。急速な都市化により失われてゆく民家を記録に残すために、全国一斉に行われた調査であったが、改装を重ねがらもこの時代には江戸時代から続く民家が意外と多くあったことが分かる。つまり、江戸時代から続く農家の生活が結構色濃く残っていたことになる。仏壇を安置することが当然の生活がそこにはあったし、家族の規模も大きかった。

 ただし、都市部は現在と同じく仏壇の普及率は低かったはずだ、なぜなら、都市部に勤労者として出てきた多くの人は、農家の次男三男であり、仏壇を祭祀する必要が最初から無かったからだ。

 ところで、江戸時代からの生活が残っていた昭和四十年代までは、様々な民間信仰も根強く残っていたはずだ。例えば葬儀とそれに関わる忌み事、農耕関係のまじない事、生活の中のタブー。そうした民間信仰が失われる中で、仏壇の存在が次第に希薄になってきたのではないだろうか。

 考えてみれば仏壇は仏教というよりも、むしろ民間信仰の側面を強く持つ。現在でこそ本尊を中心に祭祀するスタイルが普及したが、本尊を祭祀するという仏壇は全国的に見れば、半分の地域でしかなかったはずだ。それ以外の地域は位牌が中心であった。

 先祖供養は民間信仰としての傾向が強い。お盆は仏教行事として理解されがちだが、ナスの牛やキュウリの馬は民間信仰そのものだ。

 土地が売れたから仏壇を買う、社会的な束縛があるから仏壇を買う、という時代は二度と戻ってこない。
 私たちが大切にしないといけないことの一つは民間信仰を大切にすることだ。そこには生活の知恵、生きるための知恵が意外もたくさん詰まっている。

 信仰が薄くなった、と仏壇店が言う場合、それはたいがい浄土への希求が薄くなったという仏教的な信仰ではなく、民間信仰に対しての行いが希薄になったという場合が多いのではないだろうか。
 
 民間信仰の見直しが各地域ごとにもっとも見直されても良い。


浄土いう文字は「さんずい」に「あらそう」 [宗教]

先日、漢字で書かれた弔電をTELでお願いする際、
「浄土」という文字を入れたのですが、
オペレーターの人に「浄土の浄はさんずいに、あらそう、ですね」
と確認され、はじめて浄土の浄が「水の上で争う」という字画になっていることに気付きました。

中国は共産主義だから宗教に対しては元来否定的です [宗教]

ソビエトはソビエト崩壊後、ロシアとなり、共産主義の呪縛から解放され
ロシア正教会も復活し、青天のもとに活動できるようなりましたが、
中国は共産党一党支配の共産主義国です。
どんなに経済が発展しても、このことに変化はありません。

共産党は基本的に宗教に否定的です。

一方、現実の中国では仏教寺院の建築ラッシュに沸いています。
もう、あちこち新築のお寺があります。
新しいお寺が仏具などを購入すらための、大規模な展覧会もあります。

でも、それは共産党の公認の下で行われていること。

日本の寺院と全く同じ意味での自由はないはずです。

チベットの仏教を考えるとき、彼ら独自の仏教であるよりも、
中国共産党の意向に沿った仏教であることが求められるは、
これは当然のことです。

それは文化弾圧といってしまえば、それまでですが、
日本や欧米とは政治体制が違うわけで、
チベット仏教を自由に、ということは、共産党のコントロールを無くしてしまえと
言っているのと同じ。

lこれは簡単な道理です。

一方、長野善光寺は偉いと思います。
本願寺教団やその他の宗派は何も言わないのかしら?

本願寺教団をもっと発言を [宗教]

仏壇業界にいると、
「位牌を祀るな」「写真を仏壇の中に入れるな」「お札をもらうな」と
やたら門徒に対しての注文が多い本願寺教団。

それだけ注文をするのならば、
「チベット問題」で中国に注文して欲しいと思いますし、
「靖国での門徒さん戦没者反対」も強力に発言して欲しいな、と思います。

中国の宗教 復活する宗教 [宗教]

昨日の読売新聞朝刊の一面には興味深い記事が掲載されていました。「中国疾走・不安の代 神々復活」と題した連載現地ルポです。上海市内の道教廟(城煌廟)の一日の参詣人数(定点観測)は、九十年代にはまばらだったものが、〇一年には九千人となり、昨年はなんと一日三万人を超えるようになったと報道されています。実は中国は寺院や道教廟の建設ラッシュで、仏教・道教大復活の時代を迎えています。もちろん仏像や彫刻を彫る職人さんも多忙です。

 取材をしていると感じるのは、相対的に日本の購買力が落ちているということです。かつて日本向けの仕事のみであった彫刻の職人さんも、現在では中国国内向けの仕事の方が
忙しいという人もたくさんいます。その忙しさを支えているのが、中国国内における仏教・道教の建設ラッシュです。

 読売新聞の掲載資料によれば、中国の酒興別信者割合では仏教が五割を超え、最も大きな勢力で、土着的な道教は約一割を意外なまでの低さです。なんとプロテスタンの割合は二割を超えていますが、この統計資料に惑わされてはいけません。なぜなら中国人の大半は日本同様、なんにでも手を合わせてしまうからです。
 仏教を信者の大半は道教神にも手を合わせます。この割合の中に含まれていない人も多くが仏教寺院や道教廟にもお詣りします。

 でも、中国は共産主義ですから、主義主張から言えば宗教は敵です。読売新聞では宗教と共産党の現在の関係を「奇妙な共存」と呼んでいますが、低所得者層に宗教が浸透するようになれば、中国政府もちょっと大変かな、と思います。

(無断転載をお断りいたします)

仏壇店に行ってみよう
http://www.butsudan.kogeisha.com/


悪人正機説 悪人であることを自覚することは難しい [宗教]

親鸞上人の言葉として最も有名なものが
「善人なほもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
という一説です。

善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
しかるを世の人つねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや。
この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善の人は、
ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、
真実報土の往生をとぐるなり。
煩悩具足のわれら(悪人)は、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、
あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。

善人でも往生できるのだから、悪人こそが往生できるという
大逆説の言葉です。

ここで言う善人は親鸞にとって師匠である法然であったかもしれません。
浄土真宗では善人とは一体なにか、ということについて営々と研究されてきたでしょうし、
素人である私がとやく言う問題ではないのですが、
世の中の大半の人はもれなく、ここで言う悪人なんです。

でも自分が悪人であると自覚すること自体が、
それはもう難しい。
どこかで自己弁護してしまう。
自分でがんばってしまう。

親鸞は自力の人は阿弥陀の救いから漏れると言いますが、
例えば自力の代表である禅の場合も、
悟りは自力から完全に離れたところに生まれるのでしょう。

自力である以上、いずれにしも仏の救いはないのです。


「しきたり本」 [宗教]

書店に行くと、宗教書のコーナーがあります。
もしくは宗教書が集まっているコーナーでしょうか。
五木寛之さんや瀬戸内寂聴尼の本も大枠では宗教書になりますから、
ずいぶんと多くの人が宗教書をひもといているんだろうな、と思います。

でも自分にとっての究極の?は宗教って何だろうということです。

今日は取材先で「しきたり本」のことが話題になりました。
「しきたり本」は一体誰が読んでいるのだろうか、と。
まあ、年齢層で言えば幅広くということになるのでしょうが、
僕が反射的に思ったのは60歳以上の方々。
自分自身に身についた「しきたり」を再確認するために
読んでいるのではないだろうか、ということです。

「しきたり」と宗教性は比較的相似形ではないかと思います。
なぜかと言え宗教にとって「しきたり」は不可欠だからです。
特に宗教における「しきたり」は儀式の根本を為すもので、
場合によっては「秘伝」「秘儀」であったりします。

茶道や香道にも所作という「しきたり」があります。
「しきたり」を通して茶道や香道はその心を伝えてきました。
勝手にお茶を飲む、適当に香りに嗅ぐ、というのでは「道」になりません。

この「道」というのが「しきたり」ということにも気づかされます。
先日、新聞を読んでいますと、柔道の山下泰裕さんが
「柔道は勝ち負けのスポーツではなく、相手を尊敬する、相手を思いやるスポーツ」
ということを語っていたのが目に入りました。
柔道は一人でやるものではありません。相手が居てこそ成り立つものです。
礼で始まり、礼で終わるというのが柔道を含めた武道のあり方で、
そこにはやはり「しきたり」の香りが濃厚にします。

実は電車に乗るのにも、バスの座席に座るのにも
一定のしきたりがあります。
それは相手を思いやる心です。
それがあってこそ、快適な車内になるのです。

以前読んだ本で「商人道 江戸しぐさ」というものがありました。
東京の地下鉄では車内マナーの公共広告にもなっていましたが、
「袖振り合うも他生の縁」。
つまり、車内でたまたま一緒になるのも先祖のご縁。
一歩下がって「させて頂く」「仏様のおかげ」という方が
お互い楽なんだろうと思います。

そうすると「しきたり」「道」「しぐさ」は
宗教的な視点から自分が見られているという方視点を持ち暮らすことが
いかに「楽なのか」ということになります。

車内でとんがって踏ん張るより、
もっと「楽に」「楽しく」という時には、
他生の縁から生まれる「しきたり」「しぐさ」を大切にしたいものです。

「しきたり本」が注目される背景には
一定のルールで生きることの「楽さ」があるのでしょう。


お守りが護ってくれた? [宗教]

今日、70過ぎのおばあちゃまから聞いた話。

先日、思い切り転んだけど、怪我とか骨折とかは全くなく
(穿いていたスラックスの膝は破けて血も出たとこと)
ああ良かった、と。
数日後、なんとなくいつも持ち歩いている御守りの中
なんとなく見ようと思い、中を見てみると、
中の木札が真ん中で真っ二つに割れており、
「ああ、神様が護って下さった」と思い、
翌日は早速、その御守りの神社にお礼に行ったとのこと。

あるい人にこの話をすると
「転ぶ前から割れていたんじゃないの」
と言われたそうです。

そのおばあちゃまが、70年以上の人生の中で
初めて御守りの中を見たそうです。
どうして見ようと思ったのか、とお聞きすると、
「さあ、なんとくなく見てみようと思った」とのこと。

でも前から割れていたと思ったり、
たまたま、とか、偶然、と思うのと、
神様が護って下さった、と思うのでは
ものすごく大きな差があるように思います。

仏壇店に行ってみよう
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