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宝誌和尚 [アート]

 昔の仏像には恐ろしくリアルなものがあります。そのリアルさが、異形につながっていきます。どうして現代の仏師達は、こうした異形の仏を彫らないのでしょうか?お施主さんの要望がないからでしょうか?
 今回、東京国立博物館で開催されている「仏像展」には宝誌和尚像が出展されています。仏像というよりも肖像彫刻なのですが、まるで「脱皮」状態の彫刻です。
  
宝誌和尚が生きたのは五世紀(418~514)。十一面観音の化身と言われる神異の人でした。

今回出品されている宝誌和尚像は平安時代に一木で彫り上げられたもの。ナタ(鉈)彫りと呼ばれるもので、仕上げ彫りの前の状態で仕上がりとしているものです。美しく彫られている仏像に比べると、遙かに生々しいのが特徴です。木の中から仏が出現した時を表現しているような印象を与えてくれる技法がナタ彫りです。
 
梁の武帝(464~549)が宝誌和尚の像を描かせようとしたところ、顔が二つに割れ、寿一面観音が下から出現し、さらにさまざまに様相が変化したので、結局その姿を描くことができなかったという伝説があり、この伝説に基づいて作られたのが、今回出品されていた宝誌和尚像です。

梁の武帝は仏教の庇護者として知られた人で、ベジタリアン、つまり菜食主義を押し通した皇帝として知られています。

インドからやってきた達磨を接見したのもこの梁の武帝です。仏教を庇護した武帝は当然のように「朕は仏教を庇護し、寺を建て、経を写し」と自慢したところ達磨は「無功徳」と一蹴します。「しょーもないこと言うな」という感じです(造塔造仏をどれだけ行ったところで功徳はない、ということですが)

 梁の武帝に肖像を書かせろと迫られた宝誌和尚は変化(へんげ)するわけですが、それもある意味「しょーもないことするな」という含みを感じさせるものです。ただ達磨と違い、宝誌和尚は自身に内在する十一面観音を武帝に見せるわけです。「しょーもない」と思いながらも、変化してみせるところに興味がもたれます。
 そこがインド人の達磨と、道教という文化背景を持つ中国の差なのかもしれません。


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by ���� (2006-12-07 03:09) 

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