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禅と葬式 『仏典を読む・死からはじまる仏教史』 [仏教]

今、末木文美士さんの
『仏典を読む・死からはじまる仏教史』
という一冊を読んでいますが、非常に興味深い内容です。

「今日の仏教式の葬式の原型は禅宗によって確立されたといわれている。
それは決して偶然のことではない」(145頁)

位牌、という用語が仏典上、初めて登場するのは
『百丈清規(勅修百丈清規)』であると言われています。
清規というのは、禅堂で集団生活を送る禅僧の生活規律を記したもので、
実は葬儀の出し方までが規定されているのです。

『仏典を読む・死からはじまる仏教史』
は、わざわざ『死』という一語をタイトルに入れています。

なぜ、禅宗が死を大切にするのか。
それは「過去は単に過ぎ去ってしまったわけではない」からです。




空、ということ [仏教]

色即是空 空即是色
という一節は、よく知られた「般若心経」のもの。

仏教は「苦」を強く言います。
例えば四苦八苦。
四苦とは生老病死
八苦とは愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦。
苦しみの究極の分類。

苦しみの実態を知り(苦諦)、その原因と起こる意味を知り(集諦)、
苦しみを滅するにはどうすれば良いのかを知り(滅諦)、
実際に苦しみを滅する(道諦)。

実はこれらの苦と苦に対しての姿勢が空だから、
悟りを得ることが出来るという、超逆転の発想。

なぜなら、空は固定化されたものではないから。

自利利他 [仏教]

仏教では自利利他、ということを言います。
自らを利し、他も利す、という意味になります。
この自利利他は菩薩の行い、
大乗仏教の行いのシンボルと言われていますが、
お釈迦様涅槃にあたって、
「自灯明 法灯明」ということを言われています。
自らを明かりとし、法を灯明とせよ、ということですが、
ここでは「自」がもの凄く優先されています。

自利利他という言葉はとても良い言葉だと思いますが、
どこか商売の法則のようでもあります。

中有の話し 「生まれ変わって先祖になる」(5) [仏教]

 お釈迦様は入滅する前、弟子達に「自らを灯とし、自らを拠り所とせよ。 法を灯とし、法を拠り所とせよ、他を拠り所とする事なかれ」と言葉を残されましたが、この法を巡って弟子達は色々と議論を深めてゆくことなります。

そしてお釈迦様の入滅後百年ほど経ってお弟子さん達は分裂し、これを根本分裂と呼んでいます。
 
分裂の理由の一つは「金銭の扱いであった」と言われています。

 この当時、出家者は托鉢をして生計を立てていました。出家修行者は三衣一鉢、つまり三枚の衣と一つの鉢だけで生活するものとされていました。

食べるものは在家者が提供します。今でもタイやミャンマーなど東南アジアの仏教の僧侶は毎朝托鉢して歩き、日々の糧(まさに食事)を得ています。

ちなみに、日本の仏教は葬儀と法事法要、そして祈祷で生活しています。

 さて、出家は三衣一鉢の生活ですが、鉢の中に金銭が入ることがあります。、この金銭をどのように扱うのか、つまり出家者は金銀を所有して良いのかどうか、ということでの議論が起こりました。「えっ?いけないの?」」というが我々日本人の感覚です。お坊さんでお金を持っていない人なんていませんし、場合によっては平均以上の生活をしている人も多いからです。

 出家者が托鉢中に金銀を供養(つまり頂く)された場合に、これを私有しても良い、とした人たちのグループと、そんなの絶対に駄目、と主張した人たちのグループがありました。


 実は元来、金銀を所有することは禁じられていましたが、そのルールを現実派が少し緩和したのです。ルールは戒律と呼ばれるもので、仏教の根本となるものです。

 そして、私有を認めた人たちのグループが大衆座と呼ばれ、私有を認めないグループの人が上座部と呼ばれます。ここに仏教は二つに分裂したのです。
 
 上座部のグループはかつて小乗仏教と言われていましたが、お釈迦様の教えを徹底的に分析して行くことになります。

 『倶舎論』を著した世親も、この上座部仏教の中で仏教を学びました。

中有の話し 「生まれ変わって先祖になる」(5) [仏教]

 クシャーナ王朝が都はペシャワールですが、この地方を総称してガンダーラと呼びます。

 ガンダーラ地方は紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシャの支配を受け、その後アレクサンドロス大王の遠征を受けます。アレクサンドロス大王はマケドニアの王でしたが、最終的はギリシャから北西インドまでを支配します。ガンダーラで登場した仏像が彫りが深いをことを特徴としますが、これはアレクサンドロス大王の版図がもたらした版図とギリシャ彫刻の影響によるものとされています。

 また、世親が生まれた現ペシャワールから西に500キロほど行くと、バーミヤンの石窟仏教遺跡があります。2001年、タリバンによって破壊されたこのバーミヤンの石窟仏教遺跡は日本画家の平山郁夫氏によって描かれてきたことでも知られています。

 バーミヤンの仏教遺跡は1世紀頃、末期のバクトリア王朝により開鑿され始め、4〜5世紀頃には西大仏(55メートル)と東大仏(38メートル)が完成しました。また、石窟内にはササン朝ペルシャの影響を受けた仏画、インド・グプタ王朝の影響を受けた壁画も描かれ、630年にこの地を訪れた玄奘三蔵はその壮大な仏教寺院を賛嘆しました。

 日本では王朝の勃興と衰頽という歴史はほぼありません。政権の交代はあっても外来王朝による支配ということはありません。


『倶舎論』を著した世親が生まれたペシャワールは、様々な王朝の勃興を経験した土地であったということは、興味深いことです。

中有の話し 「生まれ変わって先祖になる」(4) [仏教]

カニシカ王の在位は紀元後100年代の半ばですから、世親が登場する約300年前のことです。しかし、カニシカ王の仏教庇護が後の世親を生み出すことになります。なぜなら、カニシカ王は世親が当初学んだ説一切有部の教説を支持していた、とされるからです。『倶舎論』は説一切有部をまとめ体系化したものです。

 また、クシャーナ王朝はペルシャ地方の文化の影響も強く受けていました。というよりもクシャーナ王朝自体が地元土着民の王朝ではなく、西アジア、今のイランなど、からの外来王朝でしたので、仏教を庇護しながらも西アジアで生まれたゾロアスター教の信仰を持っていたともされます。それはクシャーナ王朝の仏教にも多分に影響を与えたはずです。
 
 『倶舎論』では死後、七日毎の生まれ変わりを説きますが、この思想の原点は西アジア、つまりイラン辺りであるとされています。ゾロアスター教や古代イランの宗教の死後観がどのようなものか知りませんが、クシャーナ王朝の地理的位置が、『倶舎論』の生命観にも影響を与えたことは十分に考えられます。

 また、ペシャワールは仏像が興った地域としても知られています。
 仏像はお釈迦様の時代には在りませんでした。お釈迦様が入滅した後、五百年ほど経てから身体表現としての仏像が登場することになります。

 その登場地の一つがペシャワール地方、すなわちガンダーラです。

中有の話し「生まれ変わって先祖になる」(3) [仏教]

中有のことが書かれている『『倶舎論』を著した世親は、
西暦400年代に現在のパキスタン、ペシャワールで生まれました。

パキスタンと聞くと、その宗教はイスラム教というイメージが強いのですが、
この地域がイスラム教となったのは988年のこと。それ以前は長く仏教国としての歴史が続いていました。

この地域の仏教が一気に隆盛を極めるようになったのは、
カニシカ王の時代です。歴史の教科書で登場する古代インド地方の王と言えば、まずアショーカ王。

アショーカ王は在位紀元前268〜232年。
マウリヤ王朝の王様で、仏教を庇護した王として知られています。

釈尊は入滅後に荼毘に付されますが、
その骨を納めた仏塔が八本建てられます。
アショーカ王はそれらの仏塔から骨を取り出し、新たに84000の仏塔を建て、
釈尊の舎利(骨)を分骨したと言われています。

マウリヤ王朝が興ったのはインドの東北部です。
マウリヤ王朝自体は南インドを除くインド亜大陸の大半を支配したとされますが、
カニシカ王のクシャーナ王朝の支配地域はインドの西北部でした。

中有の話し 「生まれ変わって先祖になる」(2)  [仏教]

中有と言えば『倶舎論』。
『倶舎論』と言えば世親、ヴァスバンドゥです。
以前は天親とも呼ばれていました。

世親のお兄さんは無著(むじゃく)で
世親同様、大乗仏教理論の基礎を作り上げました。

奈良・興福寺北円堂には無著世親像があります。
木造のこの両像は運慶の一門が製作したとされますが、
像から発する緊張感が素晴らしいものです。

さて、世親が生きたのは400年代、つまり5世紀です。
日本ではまだ埴輪の時代ですが、
世親は現在のパキスタン・ペシャワールに生まれたとされます。

ペシャワールはいわゆるガンダーラ地方にあります。
今はイスラム国となっていますが、一大仏教聖地であった時代がありました。
カニシカ王の時代です。
カニシカ王は127年に即位し、仏教を多いに庇護発展させました。
つまり、世親は仏教が盛んな土地で生を受けたということになります。


中有の話し 「生まれ変わって先祖になる」(1)  [仏教]

今、中陰のことを調べています。
中陰というのは、死んでから生まれ変わるまでの間のことで、
仏教的には中有と言います。

中陰は亡くなってから四十九日の間続きますが、
この間、遺された家族は、七日毎に法要を営みます。
初七日から始まって(7日目)、14日目、21日目、28日目、35日目、42日目、49日目と
合計7回の法要を営むわけです。
この7日ごとに故人は冥界(あの世)で、お裁きを受けることになっています。
それで35日目に登場する裁判官が「閻魔大王」というわけです。
閻魔大王以外にも冥界の王はいらして、
閻魔大王を含めて10人の冥界王がいます。

で、49日目のお裁きを受けると、
生まれ変わりの先が決まります。

はい、ここで注意して下さい。
「仏教では死んだら生まれ変わる」
というのが基本です。
生まれ変わる先は次の世界。
1)地獄 2)餓鬼 3)畜生 4)修羅 5)人 6)天
のうちどれか一つです。

ああ、地獄に落ちたくない・・・
食べ物に飢える餓鬼も嫌だし、
ブタや馬や猿に生まれ変わる畜生もいやだ・・・
修羅って戦いの世界ですけど、それってパレスチナのこと?
天は天人の天です。

でも、大半の人は大丈夫、人の世界に生まれ変わります。
それも先祖として・・・・
死んだら、位牌という先祖になるんですね。

というわけで、これからしばらく中有のことを書き連ねて行きます・!

不殺生、をどのように読むか [仏教]

仏教の戒の冒頭には必ず
「不殺生」とあります。

生は命です。
その命を殺してはならない、
ということです。
他の命も、そして自分の命も。

この不殺生という文言が戒の軸になっているような気もするのですが、
「殺すな」と訳すのか「殺さないよう努力しましょう」と訳すのか。

「殺さないようにしましょう」というのはいかも弱々しい・・・

でも全く殺さずに、日本人は生きていけません。
国道沿いには沢山の焼き肉屋さんとお寿司屋さんがあります。
牛や豚、そして魚の命を殺しながら、
私たちは生きています。
命を食べることでエネルギーを貰っているわけです。
江戸時代までの日本人は、基本的に牛や豚は食べませんでしたが
それは仏教の「不殺生」の思想が、なにげに浸透していたからです。

仏壇業界では「信仰が薄く成った」とよく言うのですが、
焼き肉やお寿司の大好きな仏壇屋さんが、その言葉を言ってはならない、
ということがよく分かります。

必要以上に殺さない、ということで言えば、
動物や魚は自分のお腹を満たせば、それ以上の殺生はしないわけですから、
完全に人間よりも上です。

では、殺されそうになったら、殺して良いのか。
この点に関してハッキリとした態度を取るのは
現代のイスラエル。もの凄くはっきりして、怖いくらいに
パレスチナに進攻しました。

殺すな、ということは
「もしかしすると殺してしまう自分を深く自覚しよう
殺さないと生きていけない自分を知ろう」
という意味かもしれません。
それは冒頭でも書いたように、
自分の命をも含めてのことです。

だから、戒と同時に懺悔が必要になるのでしょう。

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