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会津の母親殺しと業 [仏教]

会津で高校生による母親殺害事件が起こりました。頭部切断、加えて腕も切断されていたという報道を見ると、どうして母親を….と思います。
仏教では五逆(ごぎゃく・五逆罪)と呼ばれる罪があります。これを犯せば無間地獄に陥る最も重い罪です。
阿羅漢(聖者)を殺すこと、仏身を傷つけること、出家者の集団生活を壊すこと、そして父を殺すこと、母を殺すことが五逆です。
 しかし、わざわざ五逆として父母を殺すことが挙げられているということは、父母殺しが、古くからあったということになります。

 奈良の進学校に通う生徒が放火により殺したのもやはり母親でした。父親ではありません。何故か殺されたのは母親です。そのことを思うと、男の子の心の中に棲む母親像が難しい存在であるということに気付かされます。
  
 母親、つまり母性原理は生み出す力と飲み込む力の両面を持っています。そのことは女性に例えられる海のことを思えばよく理解できます。命の源である海(水)、そして簡単に人を飲み込んでしまう海。
 子供はこの母親の力から脱出するために、精神的な母親殺しをするものだと考える心理学(ユング派)もあります。もちろん同時に精神的な父親殺しも必要となります。そうした「殺す」という作業は、母や父からの精神的な独立を意味しています。

 母性原理はもちろん父性原理と対になるもので、どちらか一方だけで成り立つものではありませんが、今回のような事件は強まる母性と弱まる父性という時代の流れの中で、さらに生まれてしまう事件のように思えます。

 戦前であれば、我々はこうした殺人事件の蔭に「業(ごう)の深さ」を見たはずです。その業の深さは、先祖から引き継いだ、一種の負の遺産です。その業の深さを知り、自分自身に対しての業の深さを知る時に、信仰も生まれたのではないでしょうか。
 どうしようもないこと、今回の事件もまず病的です。その病的で狂いそうな世界は、全ての人にとって遠い世界のことではなく、すぐ目の前にある世界のことです。人間はいとも簡単に気が狂ってしまう、そんな危うい存在、綱渡りしながらの存在だと思っています。
 今はこうした事件が起きるたびに、ニュースの解説者として心理学者などが登場し、「誰それに心のケアが必要だ」という言葉を無制限にはき出しますが(そのこと自体は間違いがないと思います)、一昔前であれば「ああ、なんて業が深い、恐ろしいことだ」という言葉に、多くの人が共通の理解の土壌を持っていたようにも思います。

 この人としての業の深さを知ること、教えることが、現代の教育の中で最も必要だと思います。業の深さを知ることは、危うい自分を知ることで、そこから哀しみ、優しさが生まれて来るのではないでしょうか。


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