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牡丹燈籠 [宗教]

 怪談の存在は仏教理解にとってなくてはならないものであった。教理教説よりも、優れた怪談のひとつが、より多くの人に仏教への理解を与えてきたが、最近は怪談話を耳にする機会がめっきり少なくなったように感じる。
怪談話としてよく知られるのは「四谷怪談」「番町(播州)皿屋敷」そして「牡丹灯籠」だろうか。

 四谷怪談ではお岩さん、「番町(播州)皿屋敷」ではお菊さん、そして「牡丹灯籠」ではお露さんがそれぞれ幽霊の主人公。怨みを残した女性が化けて出るというのがパターンではあるが、今回紹介するのは岩波文庫から出ている「牡丹灯籠」。

 「牡丹灯籠」は幕末から明治時代にかけて活躍した落語家・三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう・1839~1900)が語ったことで一躍有名になったが、最も知られた場面は、旗本の娘のお露の幽霊の登場場面。少し長くなるが引用する。

「それからはお嬢の俗名を書いて仏壇に備え、毎日毎日念仏三昧で暮らしましたが、
今日しも盆の十三日なれば精霊棚の支度などをいたしまい、
縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣りを薫らして新三郎は白地の浴衣を着、
深草型の団扇を片手に蚊を払いながら、
冴え渡る十三日の月を眺めていますと、
カランコロンと珍しく下駄の音をさせて生け垣の外を通るものがあるから、
ふと見れば、先きへ立ったのは年頃三十位の大丸髷の人柄のよい年増にて、
その頃流行った縮緬細工の牡丹芍薬などの花の附いた燈籠を提げ、
その後から十七・八とも思われる娘が、髪は文金の高髷を結い・・・・」

 先に立ったのはお露の召使いのお米。手に提げるのが牡丹燈籠。お米に続く十七・八の娘が旗本の娘お露。二人とも、すでにこの世の人ではなく、この後、新三郎に取り憑き、新三郎の命さえも奪うことになる。
 この「牡丹燈籠」には、様々な仏教の考えが登場する。幕末から明治にかけての日本人は、因果応報・輪廻転生、仏の加護などの考えを共有していたが、怪談話はその共有を作り出すひとつの大切な要因であった。

 そうしたことも忘れられがちではないだろうか。


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