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関東学院・春口監督 早稲田・大西監督 [雑感]

関東学院大学ラグビー部部員の大麻事件。
現在のところ十名以上の部員が大麻を吸引したということで、
今朝の報道によれば同部の春口監督が辞任するとのこと。
吸引に関しては、もしかするとさらに人数が増えるのかもしれません。

僕の通っていた高校は関東学院大学のすぐ近くでした。
ブラスバンドに所属して僕は、コンサート前に関東学院大学のブラスバンド部に
楽器を借りに行ったことがあります。
また、金沢八景駅から学校まで歩いて行く時も関東学院大学のそばを通っていましたから、
自分にとっては結構身近な存在でした。

当時の関東学院は、もちろんラグビーのラの字もありません。
大学ラグビー界は同志社全盛の時代で、
平尾、大八木といった花形選手が同志社を支えていました。

早稲田には本城・吉野というBKのスター選手がいましたが
(彼らは僕と同級生で、83年の大学卒業アルバムにのっています)
当時、早稲田のフォワードは軽量で、
一人当たりの平均体重はおそらく80キロ前後だったように思います(今は100キロくらい)
明治の重量フォワードに対抗する早稲田のBKという構図でしたが、
早稲田の大西鐵之祐(1916-1995)監督の采配により、
対抗戦グループで優勝も果たしました(1981)。

大西監督は接近・展開・連続理論で早稲田を強くした名監督。
僕はたまたま一年時の体育の座学単位を落とし(まったく授業に出ていなかった)
翌年座学を受け直すと、講師は大西先生(教授・監督)でした。
「君たちゴルフを馬鹿にしてはいけない。一度やってみなさい。あれほど難しいスポーツはない」
「金髪の女性とも一度はやってみろ」
などの言葉を妙によく覚えています。

早稲田の大西監督、そして「前へ」と言い続けた明治の北島忠治(1901-1996)監督、
大学ラグビー界。そして日本のラグビー界の名物指導者でした。
関東学院の春口監督もそれに比肩するほどの存在であっただけに残念。
大西さんや北島さんであれば、今回の事件をどのように見たでしょうか。

早稲田のラグビーも、明治のラグビーも一度は不祥事で落ち込み、
そしてはい上がってきました。
関東学院にも、どこか緊張感を失っていたのでしょう。
二年後、三年後の早稲田・関東学院の対決を楽しみに・・・


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