SSブログ

柳田国男の「仏壇=魂棚」説を考える(1) [仏壇]

 九月二十三日付の朝日新聞朝刊で、現代仏壇の八木研(東京・大阪)が「仏壇の始まりは魂棚だった」というメッセージ広告を掲載しました。新聞は朝日新聞東京本社朝刊セットで三百八十万部の発行。秋彼岸の中日、随分と多くの人がこの広告を見ながら、お彼岸の朝を迎えたに違いありません。

 仏壇の始まりは魂棚だった、という言葉は柳田国男(1875〜1962・明治8〜昭和37)の『先祖の話』の中に見えるものです。
 まずはその一節が正確にどのように書かれているのか、紹介してみたいと思います。

「寧ろ盆暮れ以外にも先祖と対面する機会を多くせんが為に、日頃から居間の一隅に之を作って居たのである。年忌日の供養がしげくなって、勿論その為にも之を必要としたらうが、本来はそれよりももっと遠い、先祖の霊の祭壇おしてであったことは、特に荒忌の新精霊の為に、必ず別の棚を作るという者が、最も多いのを見ただけでもほぼ疑いが無い。ましてそれ以外にもまだ幾つもの証拠といってよいものが有る。佛壇などという言葉が標準語になって居る為に、誤解をする人がまだあらうが、
 魂棚の奥なつかしや親の顔 去来
 佛壇は本来常設の魂棚に他ならぬのであった」

 最後の部分に「佛壇=魂棚」という説が登場するわけです。

 八木研がどうして「仏壇=魂棚」というメッセージを発信するのか。八木研の広告の中にも書いてあるのですが、実は「仏壇=小さな寺院」という説が一方であります。
 仏壇業界としては「仏壇=小さな寺院」という説がこれまでは主流であり、「仏壇は死者供養のための道具ではない」という説明もそれに付随されてきました。

 「仏壇=魂棚」という説は仏壇が死者供養のための装置であるという説を肯定するものです。一方で仏壇業界は、仏壇は本来死者供養のためのものではない、という言葉に拠ってきたのです。つまり、八木研の広告は、言外に業界への疑問の投げかけを行っていることになります。

 傍から見ればどちらでも良い議論のようですが、業界内では結構大きな論点となるところです。

(続く)

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。