モノ化する死 [雑感]
お葬式を取り上げた雑誌が
年中販売されるようになりました。
よくもまあ、各誌とも「お葬式にいくら掛かる」
という企画で立て続けに同じような内容の雑誌を出すことだ、
と感心します。
それだけ世間の関心が集まっているということでしょう。
葬儀が高い安い、ということは以前は言われませんでした。
それは、地域の人が協同してお葬式を出すのが習慣だったからです。
つまり相互扶助でお葬式を出していたわけで、
それを他者に委ねることで料金が発生するようになりました。
でも遺体を扱うという仕事は
誰でもしたい仕事ではありません。
毎日死と向き合うのは大変な仕事ですし、
穢れもあります。
その仕事の大変さも含めての料金体系が
高額な葬儀料金を生み出してきました。
でも、高い安いということが言われるようになったということは
死に対しての感覚、遺体に対しての感覚が違ってきているのでしょう。
それは「死のモノ化」に他なりません。
年中販売されるようになりました。
よくもまあ、各誌とも「お葬式にいくら掛かる」
という企画で立て続けに同じような内容の雑誌を出すことだ、
と感心します。
それだけ世間の関心が集まっているということでしょう。
葬儀が高い安い、ということは以前は言われませんでした。
それは、地域の人が協同してお葬式を出すのが習慣だったからです。
つまり相互扶助でお葬式を出していたわけで、
それを他者に委ねることで料金が発生するようになりました。
でも遺体を扱うという仕事は
誰でもしたい仕事ではありません。
毎日死と向き合うのは大変な仕事ですし、
穢れもあります。
その仕事の大変さも含めての料金体系が
高額な葬儀料金を生み出してきました。
でも、高い安いということが言われるようになったということは
死に対しての感覚、遺体に対しての感覚が違ってきているのでしょう。
それは「死のモノ化」に他なりません。
2010-04-11 07:19
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