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泰山府君と赤山禅院 3 [仏教]

 威海から少し内陸に入った場所に文登と呼ばれる町があります。九世紀初頭、この文登で大きな力を持った新羅人が張保皐(弓福、弓巴という名も持ちます)でした。彼は790年頃に朝鮮半島南西部に生まれ、その後山東半島に渡り武人として活躍。没年は846年(暗殺される)。赤山法華院を建立した人物です。 
円仁が入唐したのは838年で帰朝したのが847年ですが、赤山法華院には839年6月16日に到着しています。
この円仁を様々に助けたのが張保皐でした。円仁は不法滞在を望みますが、その不法滞在のために尽力し、円仁の天台山への旅行許可証を取り付けたのも張保皐でした。
現在、日本からの進出メーカーがこの文登県で唐木仏壇の工場を経営していますが、円仁のことを思うと、不思議な仏縁だと思います。

赤山禅院では毎年11月23日に京都珠数製造卸協同組合主催の珠数供養会が開催されますが、赤山禅院には泰山府君、山東半島文登、赤山、張保皐という関わり合いの中で建立されたということがよく分かります。


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