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薄くなったのは民間信仰 [宗教]

 仏壇が売れないという。当然のことだろう。売れない理由は幾つでも見つかるが、売れる理由を探すのは難しい。売れない理由は売れていた理由の裏返しでもある。

 売れていた理由の一つは「土地が売れたから」からだ。戦後、農地改革によって小作人の多くは自分の農地を手にした。農地改革では日本全国七割の農地がただ同然に小作人に与えられ(地主からすれば事実上の没収)、その土地が昭和四十年代に値上がり。土地売却で大きな現金を得た(ただ同然で)農家は、こぞって大型の仏壇を買い求めた。

 時期的に言えば、昭和四十年代は戦没者の二十三回忌、二十七回忌に当たり、そのことが仏壇ブームを作り出す大きな要因となった。

 現在、小紙では毎月の連載「仏壇史」で仏間の様式を紹介しているが、この連載で登場する民家の調査は昭和三十年代後半から昭和四十年代にかけて行われている。急速な都市化により失われてゆく民家を記録に残すために、全国一斉に行われた調査であったが、改装を重ねがらもこの時代には江戸時代から続く民家が意外と多くあったことが分かる。つまり、江戸時代から続く農家の生活が結構色濃く残っていたことになる。仏壇を安置することが当然の生活がそこにはあったし、家族の規模も大きかった。

 ただし、都市部は現在と同じく仏壇の普及率は低かったはずだ、なぜなら、都市部に勤労者として出てきた多くの人は、農家の次男三男であり、仏壇を祭祀する必要が最初から無かったからだ。

 ところで、江戸時代からの生活が残っていた昭和四十年代までは、様々な民間信仰も根強く残っていたはずだ。例えば葬儀とそれに関わる忌み事、農耕関係のまじない事、生活の中のタブー。そうした民間信仰が失われる中で、仏壇の存在が次第に希薄になってきたのではないだろうか。

 考えてみれば仏壇は仏教というよりも、むしろ民間信仰の側面を強く持つ。現在でこそ本尊を中心に祭祀するスタイルが普及したが、本尊を祭祀するという仏壇は全国的に見れば、半分の地域でしかなかったはずだ。それ以外の地域は位牌が中心であった。

 先祖供養は民間信仰としての傾向が強い。お盆は仏教行事として理解されがちだが、ナスの牛やキュウリの馬は民間信仰そのものだ。

 土地が売れたから仏壇を買う、社会的な束縛があるから仏壇を買う、という時代は二度と戻ってこない。
 私たちが大切にしないといけないことの一つは民間信仰を大切にすることだ。そこには生活の知恵、生きるための知恵が意外もたくさん詰まっている。

 信仰が薄くなった、と仏壇店が言う場合、それはたいがい浄土への希求が薄くなったという仏教的な信仰ではなく、民間信仰に対しての行いが希薄になったという場合が多いのではないだろうか。
 
 民間信仰の見直しが各地域ごとにもっとも見直されても良い。


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