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最後の宮大工?という言葉への疑問 [雑感]

今日は取材先で薬師寺の宮大工西岡さんの話が出ました。
その時、取材先の社長さんは「法隆寺のなぞ」という一冊の本を出されました。
社長さんは社寺建築の職人さんなのですが、
西岡さんが「宮大工」として持ち上げられることに、
多少の疑問を抱いています。

「法隆寺のなぞ」は昭和52年、当時の法隆寺執事であった
高田良信師が書かれた本です。
本の内容はタイトルの通り、
「法隆寺のなぞ」についての説明なのですが、
その最後の次のような一文があります。

・・・・・「最後の宮大工某」といった無責任な言葉すら飛び出すしまつである。
・・・・・私は「最後の宮大工」という言葉に対して好感をもって聞くことはできない。

なるほど、と思わせる言葉です。
私たちは自分たちが思う以上に、マスコミの言葉に振り回されています。
この最後の宮大工に当たる人は西岡常一さんのことですが、
高田師はマスコミの評価に対しての疑問を投げかけているのです。

法隆寺の昭和修理の時に「やりがんな」が復元されましたが
高田師は次のように評価しています。

・・・・・・私にいわせれば、その出来上がりは
・・・・・・飛鳥どころか、昭和のお粗末きわまるものだ。

世間は古代の大工道具である
やりがんなの復元を非常に評価しましたが、
実際にやりがんなで行われた仕事があまりにもお粗末だった、
と高田師は言うのです。

この「法隆寺のなぞ」では
法隆寺に対して様々な解釈を行ってきた
梅原猛さんのことも、相当こきおろしています。

おもしろい一冊でした。



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