仏壇の「あり方」理解の基本(2) [仏壇]
仏壇店さんとはなしていると、
「このままだと仏教は駄目になる」と言われる方がいます。
仏教が駄目になる、ということは
どのようなことなのでしょうか。
仏壇店さん的には
「仏壇が売れなくなる」ということでしょうか。
お釈迦様が菩提樹の下で開かれた悟りの内容は
「私は二度を生まれ変わらない」
というものです。
故中村元博士訳の『法句経』(岩波文庫)には
釈尊の悟りについて次のように書かれています。
「二度を生まれ変わらないにしよう。
この人は二度と生まれ変わらない」
もうひとつ、仏教の根幹にある思想は無常です。
常が無い、常に移りかわる、ということです。
諸行無常です。
ですから、仏壇業界も無常です。
そして空。これは大乗仏教の思想の根幹です。
空と聞くと、「色即是空」という『般若心経』の一節が思い出されますが、
空とは物事の実態がないことです。
物事が起こるには原因があります。そして結果があります。結果が原因となります。
私たちは原因と結果の間にある物事をあれこれ評価しますが、
その物事自体に実態がない、ということです。
仏教が駄目になる、駄目にならないという評価には実態がありません。
というよりも、そのような議論そのものが
仏教的ではない、ということになります。
「このままだと仏教は駄目になる」と言われる方がいます。
仏教が駄目になる、ということは
どのようなことなのでしょうか。
仏壇店さん的には
「仏壇が売れなくなる」ということでしょうか。
お釈迦様が菩提樹の下で開かれた悟りの内容は
「私は二度を生まれ変わらない」
というものです。
故中村元博士訳の『法句経』(岩波文庫)には
釈尊の悟りについて次のように書かれています。
「二度を生まれ変わらないにしよう。
この人は二度と生まれ変わらない」
もうひとつ、仏教の根幹にある思想は無常です。
常が無い、常に移りかわる、ということです。
諸行無常です。
ですから、仏壇業界も無常です。
そして空。これは大乗仏教の思想の根幹です。
空と聞くと、「色即是空」という『般若心経』の一節が思い出されますが、
空とは物事の実態がないことです。
物事が起こるには原因があります。そして結果があります。結果が原因となります。
私たちは原因と結果の間にある物事をあれこれ評価しますが、
その物事自体に実態がない、ということです。
仏教が駄目になる、駄目にならないという評価には実態がありません。
というよりも、そのような議論そのものが
仏教的ではない、ということになります。
2009-09-25 06:55
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