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先祖供養 1 [仏教]

 浄土真宗では先祖供養をしません。そのことを最近は特に強調します。宗派としての教義に沿った教えを説くことは、全く正しい行いですが、正しい教えを説くことで真宗に帰依する人が増えるかどうかということは別問題ですが・・・・・

 そこで今回は浄土真宗がなぜ先祖供養をしないのか、ということを説明しながら、日本の供養浄土についてお話ししたいと思います。

 仏教が行う先祖供養とは何でしょうか。それは死後観、来世観と深い関係があります。
 
 浄土真宗では亡くなると極楽浄土に生まれます。阿弥陀如来が主宰する仏教の理想郷の一つです。浄土真宗のお寺によっては「仏」になるとも言います。ここで言う仏とは、遺体を「ほとけさん」と呼んでみたりする仏さんではなく、仏教的な仏です。ただし、如来であるとか菩薩であるか、ということは言われないようです。あくまでも、阿弥陀如来が中心に在す理想の世界(それは苦しみのない世界)に生まれることができる、ということです。

 しかし浄土真宗以外の他宗派ではそのように考えません。亡くなった人に対して、追善供養しなければ成仏できないと考えるのです。
 
 追善供養というのは冥界にいる故人に向けて「善」を送ることです。どのようにして善を送るのかと言えば、自分が仏に供物を差し上げたり、読経をしたり、お線香、灯明を上げたりすることで善を積み、その善を冥界にいる故人に送るのです。
 何故善を送るのかと言えば、仏になるためには善を積まなければならないからです。積善が成仏の条件なのです。一定量の善を積まなければ成仏は不可能ということになります。

 一方、浄土真宗ではその教えにより、亡くなった人は、すでに理想郷である極楽浄土にいるわけですから、遺された者が「善を送らなければ、おじいちゃんは成仏できない」と心配する必要はないわけです。

 では、なぜ、成仏できるかどうか、ということが先祖供養の論点になるのでしょうか。
 そこには仏教だけではなく、日本の伝統的な宗教観、極東アジアの宗教観が影響しあってます。それらの宗教観は土着宗教とも言うべきものですが、中国仏教にしても日本仏教にしても、その土台の上に成立してきました。

 その土着の部分には習俗・迷信・俗信と言われるものが堆積して出来たものです。
 
 追善供養は土着部分の宗教です。ですから一部の宗派からは、本来の仏教ではないと見なされj排除されるわけですが、排除することは自分自身の土台を削りことを意味し、自身の存在そのものを将来的には揺るがせることになります。


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