カン・ドンウォン 「私たちの幸せな時間」 を見る [映画]
昨日は、カン・ドンウォンとイ・ナヨン主演の『私たちの幸せな時間』をDVDで観ました。
カン・ドンウォンが韓国、そして日本で非常に人気のある俳優さん(モデル?)ということは初めて知りましたが、彼の役(チョン・ユンス)は死刑囚。もちろん殺人犯です。
刑務所の中の慰問で知り合うのがイ・ナヨンが演じるムン・ユジョン。経済的に恵まれた家庭と家族の中で育ったイ・ナヨンですが、心の中には深い傷を負っています。画面に登場した時から、彼女の自暴自棄(やけくそ)な行動、自分さえをも傷つけてしまう行為が、その傷を感じさせます。
ストーリーは最後、チェン・ユンスに死刑が執行される瞬間まで続きます。
自分が犯した罪に対しての謝罪、そして刑務所の中でお世話になった人へのお礼。
やがて両脇を抱えられ、首に縄が掛けられ、頭から袋が被せられます。チェン・ユンスは「国歌を歌っても怖いよ」と泣きます。関係者と執行部屋との間のカーテンが引かれ、踏み板のガタンとはずされる音。チェン・ユンスの体が宙に浮いてしまったことを、その音は知らせくれます。
最後のお別れの時、チェン・ユンスはムン・ユジョンに「愛しています、姉さん」と叫びます。
この一幕は加賀乙彦の小説『宣告』を思い起こさせるものでした。
映画のテーマは死刑ではありません。そこにあるのは、自分の罪を認めること、人の罪を許すことにあります。
チェン・ユンスは刑務所の中の面会室で、自分が殺した女性の母親と面会したその瞬間に、自分の罪を悔悟しますが、実はそこに至るまでに、ムン・ユジョンとの出会いがあります。
チェン・ユンスはムン・ユジョンと会うことを希望していました。
チェン・ユンスは捨て子です。兄弟で捨てられました。そしてチェン・ユンスの弟が国歌が好きだったのです。
国歌を聞くと元気が出るといって・・・・弟は地下道で死んでしまいます。
新聞紙にくるまって隣で寝ていたチェン・ユンスが起きたとき、弟は軽く泡を吹いて死んでいました。
二人が街で一緒に聞いた国歌。
ビルの大きなスクリーンに映し出されれた野球の開幕式。
そこで一人の女性歌手が国歌を唱います。彼女こそがムン・ユジョンでした。
死刑が執行されると決まった時、ムン・ユジョンは母を許します。
そこに隠された秘密は是非映画をご覧下さい。
許すことで、奇跡、つまりチェン・ユンスが助かるという奇跡を神に望んだのです。
映画のバックを支えているのは、カトリックの世界。
韓国でキリスト教が盛んであるととは聞きますが、これほど精神性の高い映画を作りだすことができるとは凄いと思います。
でも、罪を告白し、許しを乞うのは、神父やシスターではなく、チェン・ユンスとムン・ユジョン同士でした。そこが、妙に宗教臭くならかった理由です。
いつかチェン・ユンスとムン・ユジョンのハッピーエンドのラブストーリーを観てみたいと思いました。
http://www.shiawasenajikan.jp/
http://www.chosunonline.com/article/20060909000027
カン・ドンウォンが韓国、そして日本で非常に人気のある俳優さん(モデル?)ということは初めて知りましたが、彼の役(チョン・ユンス)は死刑囚。もちろん殺人犯です。
刑務所の中の慰問で知り合うのがイ・ナヨンが演じるムン・ユジョン。経済的に恵まれた家庭と家族の中で育ったイ・ナヨンですが、心の中には深い傷を負っています。画面に登場した時から、彼女の自暴自棄(やけくそ)な行動、自分さえをも傷つけてしまう行為が、その傷を感じさせます。
ストーリーは最後、チェン・ユンスに死刑が執行される瞬間まで続きます。
自分が犯した罪に対しての謝罪、そして刑務所の中でお世話になった人へのお礼。
やがて両脇を抱えられ、首に縄が掛けられ、頭から袋が被せられます。チェン・ユンスは「国歌を歌っても怖いよ」と泣きます。関係者と執行部屋との間のカーテンが引かれ、踏み板のガタンとはずされる音。チェン・ユンスの体が宙に浮いてしまったことを、その音は知らせくれます。
最後のお別れの時、チェン・ユンスはムン・ユジョンに「愛しています、姉さん」と叫びます。
この一幕は加賀乙彦の小説『宣告』を思い起こさせるものでした。
映画のテーマは死刑ではありません。そこにあるのは、自分の罪を認めること、人の罪を許すことにあります。
チェン・ユンスは刑務所の中の面会室で、自分が殺した女性の母親と面会したその瞬間に、自分の罪を悔悟しますが、実はそこに至るまでに、ムン・ユジョンとの出会いがあります。
チェン・ユンスはムン・ユジョンと会うことを希望していました。
チェン・ユンスは捨て子です。兄弟で捨てられました。そしてチェン・ユンスの弟が国歌が好きだったのです。
国歌を聞くと元気が出るといって・・・・弟は地下道で死んでしまいます。
新聞紙にくるまって隣で寝ていたチェン・ユンスが起きたとき、弟は軽く泡を吹いて死んでいました。
二人が街で一緒に聞いた国歌。
ビルの大きなスクリーンに映し出されれた野球の開幕式。
そこで一人の女性歌手が国歌を唱います。彼女こそがムン・ユジョンでした。
死刑が執行されると決まった時、ムン・ユジョンは母を許します。
そこに隠された秘密は是非映画をご覧下さい。
許すことで、奇跡、つまりチェン・ユンスが助かるという奇跡を神に望んだのです。
映画のバックを支えているのは、カトリックの世界。
韓国でキリスト教が盛んであるととは聞きますが、これほど精神性の高い映画を作りだすことができるとは凄いと思います。
でも、罪を告白し、許しを乞うのは、神父やシスターではなく、チェン・ユンスとムン・ユジョン同士でした。そこが、妙に宗教臭くならかった理由です。
いつかチェン・ユンスとムン・ユジョンのハッピーエンドのラブストーリーを観てみたいと思いました。
http://www.shiawasenajikan.jp/
http://www.chosunonline.com/article/20060909000027
2008-05-25 07:41
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