往生すればその姿は如来と同じ 「無量寿経」を読みながら気付く [仏教]
極楽往生、という言葉があります。
極楽も往生も最近は「死語化」しつつあり、
極楽は天国に、往生は「昇る」、つまり天国に昇る、
という言葉の方が伝わりやすくなっていますが、
「無量寿経」を読みながら、改め気付いたことの一つは、
極楽に往生すれば、その姿が如来を同じになるということです。
阿難、
それ衆生ありてかの国に生るるものは、
みなことごとく三十二相を具足す。
この一節は世尊、すなわちお釈迦様が、
弟子の一人である阿難尊者に向かって
語りかけた言葉です。
衆生というのは我々のこと、
かの国は極楽、
三十二相とは如来に具わる特徴のことです。
つまり我々は極楽に生まれれば、
如来と同じ姿になる、ということが、
「無量寿経」では確約されていることになります。
うーん・・・・頭が鏡餅のようになり、
髪の毛はパンチパーマになり、
額には大きなほくろが出来て、
目はいつも薄開きの半眼で・・・・
という姿に生まれ変わるということか・・・・
昔、「帰ってきた酔っぱらい」という歌がありました。
「天国いいとこ、一度はおいで、
酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ」
こっちの方が楽しそうな感じですね。
極楽も往生も最近は「死語化」しつつあり、
極楽は天国に、往生は「昇る」、つまり天国に昇る、
という言葉の方が伝わりやすくなっていますが、
「無量寿経」を読みながら、改め気付いたことの一つは、
極楽に往生すれば、その姿が如来を同じになるということです。
阿難、
それ衆生ありてかの国に生るるものは、
みなことごとく三十二相を具足す。
この一節は世尊、すなわちお釈迦様が、
弟子の一人である阿難尊者に向かって
語りかけた言葉です。
衆生というのは我々のこと、
かの国は極楽、
三十二相とは如来に具わる特徴のことです。
つまり我々は極楽に生まれれば、
如来と同じ姿になる、ということが、
「無量寿経」では確約されていることになります。
うーん・・・・頭が鏡餅のようになり、
髪の毛はパンチパーマになり、
額には大きなほくろが出来て、
目はいつも薄開きの半眼で・・・・
という姿に生まれ変わるということか・・・・
昔、「帰ってきた酔っぱらい」という歌がありました。
「天国いいとこ、一度はおいで、
酒はうまいし、ねえちゃんは綺麗だ」
こっちの方が楽しそうな感じですね。
2008-12-16 05:51
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