ブルーノ・タウトの「日本の家屋と生活」読了 [雑感]
建築家・ブルーノ・タウトの『日本の家屋と生活』(春秋社)を読み終えました。
たまたま立ち読みで気になる一節があり、思わず買ってしまった一冊です。
『ある時(1933)、日本の学童達に銘々の信仰を質問したところが、その結果をみると大多数は何も信仰していない。つまり無神論者であることが判明したという』
ブルーノ・タウトは桂離宮を絶賛したことで知られていますが、生まれたのは1880年ドイツ・東プロイセンが生地。
40歳までに数々の建築作品を残し、ベルリンの工科大学の教授に。
その後革命の憧れからソビエト連邦に移り、二年ほどでドイツに帰国しますが、ナチスドイツから「ソビエト信奉者」としての烙印を押され、1933年に日本にやってきます。
そして日本に亡命。そうか、タウトは亡命者だったんだ・・・・・
日本に滞在したのは1933年〜1936年まで。36年にはトルコに移住しその地で亡くなります。
さて、『日本の家屋と生活』ですが、宗教的な部分に随分と目を向けています。
「日本家屋の中ではまた出産、病気、死などのできごとが他奇なく行われている。
部屋が安静や必要な暗さを与えることができないときには
屏風を立てて外からの影響を遮断したり光線を加減したりする。
人は寝ている場所で死ぬのである。」
なるほどな、と思う部分です。
たまたま立ち読みで気になる一節があり、思わず買ってしまった一冊です。
『ある時(1933)、日本の学童達に銘々の信仰を質問したところが、その結果をみると大多数は何も信仰していない。つまり無神論者であることが判明したという』
ブルーノ・タウトは桂離宮を絶賛したことで知られていますが、生まれたのは1880年ドイツ・東プロイセンが生地。
40歳までに数々の建築作品を残し、ベルリンの工科大学の教授に。
その後革命の憧れからソビエト連邦に移り、二年ほどでドイツに帰国しますが、ナチスドイツから「ソビエト信奉者」としての烙印を押され、1933年に日本にやってきます。
そして日本に亡命。そうか、タウトは亡命者だったんだ・・・・・
日本に滞在したのは1933年〜1936年まで。36年にはトルコに移住しその地で亡くなります。
さて、『日本の家屋と生活』ですが、宗教的な部分に随分と目を向けています。
「日本家屋の中ではまた出産、病気、死などのできごとが他奇なく行われている。
部屋が安静や必要な暗さを与えることができないときには
屏風を立てて外からの影響を遮断したり光線を加減したりする。
人は寝ている場所で死ぬのである。」
なるほどな、と思う部分です。
2009-02-21 06:49
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