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紅梅、白椿、紅寒椿 [雑感]

バルコニーに咲いた
紅梅、白椿(侘び助系)、寒椿。
紅梅はようやく咲いた感じです。

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林屋あずみさん [雑感]

先日、某社の新年会の余興に来られた
林屋あずみさん。
林屋たい平師匠の一番弟子、だそうです。
三味線漫談を聞かせてくれて
大いに盛り上がりました。

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京都生まれの京都育ち、ということで、
とっても綺麗な女性。
「マレーシア航空のCAに間違えられる」そうです。
いやいや、シンガポール航空でしょう。
なんと言っても、シンガー(歌)で、ポールpole(棹)弾きですから。



司馬遼太郎が見た韓国(3) 李氏朝鮮時代の停滞 [雑感]

昨年末、仲間内の同人誌(非売)に掲載した一文を掲載することにする。

僕は大学生の時、司馬遼太郎の輪読と歴史を学ぶサークルに所属していて、
さんざん司馬の本は繰り返し繰り返し読んできたつもりであるが、
今回、出雲のことを調べる必要から、司馬の著作を読み返し、
司馬が韓国の農村の停滞のことに繰り返し触れていることの気付いた。

司馬自身は大阪の出身であり、在日の文化人達の交流も無数にあり、
彼自身の韓半島に対しての意識は
今どきのヘイトスピーチと異なり、
歴史家としての見方、それも温かみを持った内容だ。

司馬の韓国に対しての見方は
李氏朝鮮の時代に停滞を招いた、
という一言に尽きる。
そして、日韓併合に対しては否定的で
日本が帝国主義に走ったことに対しても否定する。

一方で嘆くことは、
両国にお互いの歴史文化を研究する人材の少なさだ。

といことを前提に読んで頂ければと思う。



司馬遼太郎が見た韓国(3) 李氏朝鮮時代の停滞


 なぜ、日本では鉄器が盛んに作られたのか。司馬は、日本にはたくさんの雨が降るからと結論付ける。製鉄には大量の木炭が必要であり、一山から産出される木炭で、僅かな製鉄が出来る。山の再生力が日本には有り、韓半島には無かったということになる。

 少し話がづれるが、日韓併合に対して司馬は肯定的ではない。しかし、朝鮮半島で明治維新と同様の近代に向けての革命が朝鮮で起きればということを、明治の元勲達に託して語る。
 司馬遼太郎にとっての命題のひとつは、アジアでなぜ日本が突出したのか、ということであり、その命題が日露戦争を主題とする「坂の上の雲」へと繋がってゆく。司馬は、日露戦争で日本が負ければ、満州と朝鮮はロシアの直轄領、日本はロシアの属邦になっていたと断言する。(「歴史の中の日本」より「坂の上の雲を書き終えて」106頁・1972年) 時代の気分は我々は直接知ることができないが、日韓併合はそうした時代の中で起こったことだ。

 さて、出雲のことである。
「生きている出雲王朝」では、千家家が地元新聞の元旦号の全十段の広告の中で、島根県知事と並んで、「国造、千家尊祀」の名前を掲載されていたことが紹介されている。いずれ、千家国麿さんは国造となり、天穂日命の子孫として、元旦号に登場することになる。神宮と出雲の精神世界は、このようにして受け継がれて行く。
 このことも、中韓とは大きく異なる部分だ。断絶していない血統が日本にはある。商売でも、特の自分自身の商売周りには江戸時代創業という家が多く、商売の倫理が長い歴史の中で確立している。鯛焼き一筋で数世代続いている家を日本は評価し尊敬する力がある。これは、アジアで突出している事だと、いつも感じる。自分の付き合いのある中国人は、原則として成金か成金の子弟しかいないことを思えば、尚更だ。彼らの発想は「鯛焼きばかり焼いて、なんで数代もそのことばかりしないといけないのか」というものだ。


司馬遼太郎が見た韓国(2) 李氏朝鮮時代の停滞 [雑感]

 昨年末、仲間内の同人誌(非売)に掲載した一文を掲載することにする。

僕は大学生の時、司馬遼太郎の輪読と歴史を学ぶサークルに所属していて、
さんざん司馬の本は繰り返し繰り返し読んできたつもりであるが、
今回、出雲のことを調べる必要から、司馬の著作を読み返し、
司馬が韓国の農村の停滞のことに繰り返し触れていることの気付いた。

司馬自身は大阪の出身であり、在日の文化人達の交流も無数にあり、
彼自身の韓半島に対しての意識は
今どきのヘイトスピーチと異なり、
歴史家としての見方、それも温かみを持った内容だ。

司馬の韓国に対しての見方は
李氏朝鮮の時代に停滞を招いた、
という一言に尽きる。
そして、日韓併合に対しては否定的で
日本が帝国主義に走ったことに対しても否定する。

一方で嘆くことは、
両国にお互いの歴史文化を研究する人材の少なさだ。

といことを前提に読んで頂ければと思う。



司馬遼太郎が見た韓国(2)

 僕自分自身が初めて韓国に行ったのは、1988年、パルパルと言われたソウルオリンピック開催の直前であり、用事があって安東という田舎町に行ったのだが、その時の印象は「農家が小さい、テレビアンテナがない、大きな建物はキリスト教会」というものだ。農家の家が小さいというのは、日本で言えば、納屋くらいの小ささという感じで、まだ民族服(チマチョゴリ)を着た年寄りがたくさんいた。  
「生きている出雲王朝」を収録する『歴史の中の日本』には「競争の原理の行動」(1971年・韓のくに紀行と同年)も収められており、ここでも韓国に対しての文明評論が行われている。

「私はちかごろ韓国を旅行した。日程の九割ほどは農村をまわった。農村がまったく近代化されておらず、いわば貧困で、日本でいえばなにやら奈良朝当時の農村はこうであったのではないかとおもわせた。(中略)韓国における農村の停滞は、旧中国において見たそれとそっくりであり。規模としては縮刷版の感じがした。この停滞は、いまの韓国政府に責任があるわけではなく(将来への責任があるにしても)さらに勇敢に言ってしまえば、韓国にとって諸悪の根源である「日本統治三十六年」にじかに責任があったというように、そのようにいいきってしまうことも、どうも大事なものを落としてしまうような気がする。
 韓国のひとびとに素直に考えて貰いたいが、この停滞は、こんにちの韓国人の生活意識や規範、習慣のほとんどをつくりあげた李朝五百年の体制に原因の多くがもとめられるのではないか、とおもったりした。」(「歴史の中の日本」73〜74頁)

 韓国は朱子学に支配されていたということも、司馬は繰り返す。朱子学はイデオロギーが強く、それ以外の思想を全く許さず、「朝鮮は近代への準備が決定的に遅れ、その弱点を、近代早々の日本が衝いて国そのものを奪ってしまったのである」(耽羅紀行31頁)、「李氏朝鮮史は、党争と弾圧の歴史でもある」(同107頁)。
 李氏朝鮮は五百年続き、日韓併合でその歴史を絶たれるが、その間に日本は室町時代があり、戦国時代あり、生産力が上がり私有財産と核家族が誕生した江戸時代があり、明治維新があり、明治時代となり日清・日露戦争があったが、李氏朝鮮はずっと李氏朝鮮だった。おそろしいばかりの停滞であり、腐敗しても当然だ。

「李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響の方が遙かに深刻なようにおうものだが、しかし私のしるかぎりの朝鮮人で、このことをいったひとにただ一人しか私はめぐりあっていない」(韓のくに紀行 169頁)
という司馬遼太郎の指摘は、正鵠を射ている。

 しかし、司馬の韓国に対しての感情は、現在書店に積み重なっている韓国評論本と全く異なる。韓国評論本の多くは、日本人向けの感情を煽るものが多いが、司馬の周辺には、というよりも大阪という文化の中には、韓半島文化が相当根付いており、司馬の紀行文は単純なヘイトスピーチにはならない。司馬遼太郎の紀行には、親友、畏友としての在日半島人もたくさん登場する。それも時として同行者としてであり、作家金達寿氏のような在日の仕事も紹介される。

 でも、今回紹介した司馬遼太郎の文章は本人も書いているように田舎ばかりで、韓国の人が読むと、多少不満に思うかもしれない。また、朝鮮動乱による国土荒廃も影響していたかもしれない。

続く
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司馬遼太郎が見た韓国(1) 李氏朝鮮時代の停滞 [雑感]

昨年末、仲間内の同人誌(非売)に掲載した一文を掲載することにする。

僕は大学生の時、司馬遼太郎の輪読と歴史を学ぶサークルに所属していて、
さんざん司馬の本は繰り返し繰り返し読んできたつもりであるが、
今回、出雲のことを調べる必要から、司馬の著作を読み返し、
司馬が韓国の農村の停滞のことに繰り返し触れていることに気付いた。

司馬自身は大阪の出身であり、在日の文化人達の交流も無数にあり、
彼自身の韓半島に対しての意識は
今どきのヘイトスピーチと異なり、
歴史家としての見方、それも温かみを持った内容だ。

司馬の韓国に対しての見方は
李氏朝鮮の時代が、近代の中における停滞を招いた、
という一言に尽きる。
そして、日韓併合に対しては否定的で
日本が帝国主義に走ったことに対しても否定する。

一方で嘆くことは、
両国にお互いの歴史文化を研究する人材の少なさだ。

といことを前提に読んで頂ければと思う。


 

 今年の五月、出雲大社の権宮司千家国麿さんと、高円宮親王のお嬢さんの典子さんが結婚されたことを聞いて、「確か、司馬遼太郎はどこかで、出雲大社には天孫と伊勢神宮を呪う言葉が伝わっていると書いていたのでは。神話の時代からの仲違い関係では」と驚いてしまった。
 司馬遼太郎の手持ちの著作の中に、そのことが書いてあるのではないかと探してみたが、肝心なことは分からず、結局分かったことは自分の思い違いだ。
 千家さんは天孫たる天穂日命の子孫。天穂日命は天照大神の子供で、出雲国の平定に使わされながら、出雲の神々の接待に完全に酔ってしまい、うかつにも三年間も自分の使命を忘れ惚けてしまったという神様なのだが、天孫の系譜を持つ国麿さんと天照大御神の系譜を持つ典子さんは、神話時代から続く遠縁だ。

 出雲に関しての著作、「生きている出雲王朝」(文庫『歴史の中の日本』に収録・初出1961年)と「街道を行く・砂鉄の道」をつらつら読みながら、もう一つ分かったことは、司馬遼太郎が、韓国の農村の停滞のことを、繰り返し繰り返し記していることだ。どうして出雲と韓国の停滞が結び付くのかと言えば、鉄器のあり方が、日本と韓国の歴史のあり方を左右したという司馬史観によるものだ。
 というわけで、『街道を行く』の「韓のくに紀行」と「耽羅紀行」も読んでみることにした。
『街道を行く』の「韓のくに紀行」の週刊朝日への掲載は1971年の夏から翌年の冬のことである。その後随分経ってから「耽羅紀行」を1986年に掲載している(耽羅とは済州島のこと)。

 司馬遼太郎は「砂鉄の道」の道で「数年前に韓国の農村を歩いて感じたことは、農具のすくなさである。」(現行文庫版215頁)と記す。出雲の製鉄をテーマにした「砂鉄の道」は1973年の掲載で、「数年前に韓国の農村を」とは、「韓のくに紀行」の取材に外ならない。
 日本の道具はと言えば 「明治維新前後にははすでに一道具一目的、たとえばタケノコ掘りのみに使うクワといったように、多様な農具を一軒の家で持ち揃えていた」(同221頁)と司馬遼太郎は比較し、日本は鉄が安価に出回ったおかけで、農業の生産力が上がり、一軒の農家が、非生産者、例えば武士や芸能をする人などを養い、文化を発展させたとする。
「韓国には、かつて、灌漑用の水車を自力で作るだけの技術が無かった」ということを読んだことがあるが、桶を作ることなく、ひさごを二つに割った道具で水を汲んでいる、と司馬は指摘するのだ。
「ごく最近まで朝鮮での手桶というのは、自然物であるヒサゴであった」(同223頁)。

 桶だけではなく、日本では道具が異常にまでに発達している。刃物に関しては、僕自分自身の経験でも、木工現場に行けば無数のカンナ、鑿は当たり前、錺金具の工房に行けば、それも三代続く職人の家であれば数百本から千本単位の鏨を持つこともある。精密な道具、建築、工芸の水準が日本では当たり前に高い。かといって、韓半島や中国に精密な工芸が無いわけではなく、中国について言えば、王朝のお雇い職人が作り出す工芸は、神宇宙の領域のものもある。

私はかつて韓国の農村ばかりを歩いたとき実感としては、それが旅行者としての私のよろこびだったが、日本の律令時代の農村に、タイムマシンでもって逆もどりしているような印象であった」(砂鉄の道 245頁)

「前記の私の韓国への旅は一九七一年五月である。その時の農家では、見た限りにおいて電灯はないにひとしかった。(中略)このこととは日本帝国主義のせいかと思ったりしたが、よくきいてみると、あの悪しき総督府でさえ電灯をつけることを農村にすすめたそうである、が、農村は動かなかった。厳密には農村の好奇心が動かなかったというべきであろう」(砂鉄の道 246頁)

続く

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お正月  [雑感]

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

平成27年  乙未(きのとひつじ) 2015年のお正月

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今年のおせちとお酒。

お酒は京伏見・増田德兵衞商店 の「柳」。
端麗辛口ながら、口に含んだ瞬間に甘みが広がる
ふくよかなお酒。幸せなお酒。

おせちは、お酒のおつまみとして
洋のおせちを取り寄せ。
煮物、黒豆は家人の手作り。
頂き物のしいたけが、もの凄く美味しい。
にんじんもレンコンも煮物が美味しい。



WINTER SHADOW [雑感]

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鎌倉の街、奥まったところにあるカフェのサイン。

このサイン、好きなスポット。

クリスマスツリーあれこれ [雑感]

クリスマスツリーあれこれ


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銀座MIKIMOTO ピンぼけ


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JR四天王寺


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羽田AIRPORT 2


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伊丹(大阪国際)AIRPORT

正倉院展特別内覧会 [雑感]

正倉院特別内覧会に行ってきました。

個人的には思いがけず「梵網経」を見ることができたのが驚き。
聖武天皇時代のものと推定されるとのことで、
色々と納得しました。
あと、「四分律」。傳鑑真さん将来。なるほど。

紫檀は昔から紫檀の色、
おそらく蝋型鋳造で製作された海獣葡萄経、
凄かったです。


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見学の後、外のテントの鶴屋吉信さんで
おぜんざいを頂きました。
焼き餅入りで、超絶美味しかった・・・

NK堂さんありがとうございます。
堪能いたしました。

皇太子殿下が夕刻以降ご来駕とのことで
警察も凄かったです。

アジアオリンピック 柔道出場選手のランキング(女子編) [雑感]

括弧内は世界ランキング

女子48㎏級 山岸 絵美(5位) 今回メダル!
上位には近藤 亜美3位

女子52㎏級 中村 美里(23位) 今回メダル!
上位には橋本 優貴6位

女子57㎏級 山本 杏(11位)
上位には宇高 菜絵4位

女子63㎏級 阿部 香菜(3位)

女子70㎏級 新井 千鶴(11位)

女子78㎏級 梅木 真美(46位)
上位には佐藤 瑠香18位など






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