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浄土真宗と天皇 [宗教]

ところで、真宗(本願寺教団)は天皇を
どのように考えているのでしょうか・・・・・
教学的には否定的にならざるせない?


バリ島の友達から「バリの祈り」 [宗教]

以前ウチの会社を手伝ってもらっていた女性が
バリに嫁いではや10年。
先日、バリの人の祈りって?とメールをだすと
お返事が来ましたので、一部転載します。

バリ人の祈る心?ですか・・・
日本人から思えば
祈る心、信仰心は本当に強いと思います。
自然に身についているもの疑いもなくと言う感じです。
時々、「なんでも神に祈れば済むってもんじゃない
努力しろよ!」と言うのが私の本音でもありますが・・・
でも、祈る心、神を信じる心というのは大切だと勉強にもなります。
でもでも、お供え物つくりにかなりの時間を割いて
何かと言えばオパチャラ(色々神にお祈りするセレモニー)
お金も時間も必要で
バリに嫁いだ私にはやはりいい加減にして~と言うのが本音です。(ーー;)


ブラジルのカトリック離れ [宗教]

5月6日付けの読売新聞朝刊に「ローマ法王、ブラジル訪問へ」という見出しの記事が掲載されていました。
ブラジルは世界最大のカトリック国の一つでしたが、この20数年でカトリック信者が急速にプロテスタントに流れているというのです。

これに対してのサンパウロカトリック大学神学部ラファエル教授のコメントは興味深いものです。

「教会が現実に対応するのではなく、民衆が教義に従わなくてはならないと考えている。教会が現実社会に対応しようとしたために威厳や独立性が失われ、信者を減らす理由になったと考えているのだ。カトリック信者に向けて語られる法王の内向きなスピーチは、それ以外の人々にどれだけ届くのだろうか。」

この指摘は現在の日本の伝統的な仏教教団全てに当てはまるかもしれません。


宗教は翻訳語 [宗教]

  宗教、という言葉は幕末に登場したと言われます。それは「Religion」という言葉に対しての訳語でした。
学生時代、宗教学の授業でまず教えてもらったのは「Religion」の概念です。たしか神と人との関係のこと、と教えてもらったような気がします。講義は仁戸田六三郎先生によるものであったと記憶しています。
仁戸田先生は早稲田大学のみならず、日本の宗教学における大きな存在でしたが、宗教という言葉を考え始めた、ほんの瞬間に、その名前を思い出し、思い出しながら、この一文を書いています。仁戸田先生の宗教学に関しての著作は再読してみる必要があります。

さて、宗教という言葉は英語の「Religion」の翻訳語ですから、当然そこにあるのはキリスト教やイスラム教、ユダヤ教にとっての概念です。
明治時代以降、日本ではキリスト教の布教が公然と認められるようになりますが、宗教としてのキリスト教の概念に、仏教も神道も随分と縛られるようになったのではないか、と思います。
つまり、キリスト教的な信仰が信仰であると。

 もしそうだとすれば、元来多神教的な要素で充ち満ちていた日本の宗教土壌は、宗教という概念によって、少しづつ削られてきたのかもしれません。


サウジアラビアのイスラム [宗教]

帰宅後、夕食を食べながらテレビを見ていると
サウジアラビアにおけるイスラムのドキュメント番組を放映していました。

サウジアラビアでは女性が車を運転するのは禁止、だそうです。
登場する識者によれば「そんなことはイスラムの法典のどこにも書いていない
(書かれた当時はもちろん車はありませんでしたが)
ということです。
それに対して宗教指導者が登場し
「自由に何でもできることは、決してよくない。
麻薬をだってそうだ」という解説をしていましたが、
(車と麻薬とでは随分違うと思いますが)
そうした我慢事を作ることで、
イスラム国家としての宗教統制を作り出しているとのことでした。

驚いたのは世界第四位の金持ち王子さん。
「殿下、私の車は列車と衝突し、スクラップになってしまいました」
という陳情に対して
「この者に車を与えよ」

首切り広場では、現在も実際に公開処刑(斬首)が行われているそうです。

結構カルチャーショックな番組でした。


仏壇と墓石、そして葬儀 [宗教]

仏壇と墓石、そして葬儀。
一般的には隣接し、交わっているように見える業界ですが、
交わっている業者さんと、そうでない業者さんがいます。

少し、そのことについて書いてゆきたいと思います。


中国障害者芸術団 千手観音の邰麗華さん [宗教]

今日は中国障害者芸術団のトップスター邰麗華さんの紹介。

邰麗華さんは中国障害者芸術団が演じる千手観音の先頭で「千手観音」そのものを演じていましたが、過日の日本のテレビ番組の紹介によればこの役からは引退したようです。

千手観音を演じる邰麗華さんのファンはきっとたくさんいると思いますが、中国ヤフー(雅虎)の頁の中に邰麗華のインタビュー記事を発見しましたので、興味のある方は直接アクセスしてみて下さい。

ただ、中国文で分かりにくい部分もあると思いますので、著作権侵害にならないよう、少しインタビュー内容と彼女のプロフィールを紹介したいと思います。

邰麗華さんは1976年、中国湖北省宜昌市生まれ。今年で31歳。2歳の時に高熱で聴覚を失い、聾唖学校で踊る喜びを知りました。

インタビューが2005年のバレンタインデーの日ということもあり、記者は邰麗華さんにバレンタインデー(情人節)の過ごし方を聞いています。
「父と母、そして主人と北京の自宅で静かに過ごします」というのが、邰麗華さんのこたえ。
 ご主人とは1995年に出会ったそうです。
「私は丁度外国の公演から帰ってきたところで、大きな荷物を持っていましたが、彼がそれを運ぶのを手伝ってくれた」のが最初の出会いとか。 
 ご主人は邰麗華さんと同い年で、2005年にインタビュー当時は湖北地質大学で研究者として活躍しているようです。
「ご主人は格好いい?」
という質問には
「格好良くないです。やせ気味で身長は170センチ」とのこと。

インタビューではご主人とのやりとりもあります。
「最初に会った時には二言ほど話しかけましたが、彼女が聞くことができない、ということが分かりました。でもとても落ち着いていて、全てが自然な感じでした。その後、ある日の午後、彼女と筆談でやりとりをしたのですが、コミュニュケーションには全く問題はありませんでした。私が彼女に心を動かされたのはやはり彼女の善良で純真なところです。妻としてはたいへんよく頑張っていると思いますね」
子供に関しては「まだその予定はない」とのことです。

インタビューは中国・人民網からのものです。

http://ent.people.com.cn/GB/42075/3179985.html
http://ent.people.com.cn/GB/8222/42056/55871/index.html


邰麗華さんではないようですが、中国障害者芸術団「我的夢」の写真




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中国障害者芸術団 邰麗華さんはバレンタインに [宗教]

 先日、中国中国残疾人芸術団(中国障害者芸術団)の千手観音が再度テレビで放映されていました。

 この千手観音は聾唖の方々が一列になり、たくさんの腕を次々に、それもハーモニーを作り出しながら千手観音を演じるというもので、最初に見た時には本当に驚きました。演じているのが聾唖の方々と聞き、さらに仰天。

 今回の番組では千手観音の先頭で演じていた邰麗華さんが引退し、代わって先頭を演じる15歳の女の子に焦点を当てながらの構成となっていました。

 ところで邰麗華さんは既婚者です。2005年2月(丁度2年前ですね)に行われた邰麗華さんのインタビュー記事の中でご主人のことも紹介されています(ご主人のインタビューも掲載されています)。邰麗華さんは言葉を話すことができないので、短信和QQ、つまりショートメールなどでお話しを聞いたようです。

http://ent.people.com.cn/GB/42075/3179985.html

 上記がインタビュー記事のHPですが、一応インタビュー内容の簡単な紹介を明日アップしますが、邰麗華さんのご主人はバレンタインの時に必ずチョコレートを彼女にプレゼントしているそうです。


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黄泉の犬 読了 [宗教]

藤原新也さんの「黄泉の犬」読了。共感と「?」の両方を感じた一冊でした。

少し前、サイババというインドの聖者がいました。
手をブンブンふると、ぱっと黄金が手から登場したりするその光景は
印象的ではありましたが、まるで手品師のようでもありました。
「黄泉の犬」のではサイババの一種いかがわしさについても
率直に述べられています。

この「黄泉の犬」は宗教のあり方を問う、珍しい一冊でした。
単なる説教臭い宗教書ではなく、
リアリティーに充ち満ちた宗教書でした。

印象的であったのは、例えば「即身成物」という言葉。

………………
人間の本当の死とは「成仏」ではなく「成物」ではないかと思った。
その言葉が浮かんだ日から、私の気持ちは軽くなった。
何かから解放されたようよな気がした。
その私が解放されたものとは、人間の持つ、最後の欲望からではないかと思った。その最後の欲望とは、死んでもなお生き残る、という妄想であり未練である。(214頁)
………………
なるほど・・・・。

………………
死んでもまだ来世があるのだから、という観念、あるいは妄想による安心立命は、しかしそこに最後に自我を残している限り不安は消えない。(214頁)
………………

藤原新也さんは、また次のように語ります。

………………
かりに宗教というものが人を安らかな心に導く手段であるとするなら、妄想や観念によってその心に導かれるのか、存在のリアリティを直視することによって妄想や観念を脱ぎ捨て、そのことによって安らかな心を体得するのかという二つに道すじがあるように思う。(215頁)
………………





藤原新也「黄泉の犬」 [宗教]

藤原新也さんの「黄泉の犬」収録の「メビウスの海」を読了。オウム真理教の教祖・麻原彰晃の誕生を水俣病、そして国家の近代化という中に見る小編です。

今から十数年前、麻原彰晃をホテルのロビーで見たことがあります。場所は広島。深夜12時を過ぎた頃だったと思います。
何かの用事でホテルのロビーに降りた僕の目にとまったのは、エントランスに丁度滑り込んできた白塗りのSベンツ。麻原彰晃は純白の衣をまとい、何人かの信者(彼らも純白の衣を着ていた)に支えられ、ロビーを横切って行きました。
その時に「ああ、麻原彰晃は目が見えないなんだ」と思いました。自分で歩む方向を定めているようには見えず、信者に支え導かれていたからです。

それから数年して地下鉄サリン事件が起こりました。

彼が何故視力を失ったのか。藤原新也さんは、麻原彰晃の故郷である八代の海にその理由を見つけ出します。水俣に近接した海。

「智津夫は兄弟の誰よりも魚介類が好きな食欲旺盛な子での。ワシの釣ってきた魚やシャコをアイツが一番よけいに食っとった。・・・責任を感じとる」

智津夫とは麻原彰晃のこと。語るのは麻原彰晃の兄。そして藤原新也さんが麻原彰晃の兄に会うまでの物語、会ってからの物語。すべてがまるで予定されていたような。

麻原彰晃の兄は按摩師として一日に300人もの患者を看ることもあり、多くの人が彼らに病を治してもらい、九州中から人が集まったという。智津夫はそんな環境で育った。

近現代における仏壇とは一体どのような存在であったのだろうか。そしてどのような役割を果たしてきたのだろうか。これからどのような役割を果たして行くのだろうか、というのが率直な読後感。


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