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『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(4) [宗教]

『宗教的体験の諸相』では、確か様々な宗教家の宗教的体験が記されていたはずです。
例えばパウロの回心。パウロはキリストの弟子としてあまりにも有名ですが、最初はキリストを迫害する側でした。そのパウロは突然光に打たれ倒れ、一人の男と出会います。
「あなたは誰ですか」
「私はお前が迫害しようとしているイエスだ」
 その体験からパウロはイエスの使徒となり、その生涯を全うすることになります。
 では、その体験をどのように解釈すれば良いのでしょうか。
 何かのたとえ話なのか、それとも実際にそのようなことが起こるのか。

この『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読んで、ウィリアム・ジェームスがなぜ『宗教的体験の諸相』を書くことができたのか、書けたのか、ということが初めて分かりました。というよりも、ウィリアム・ジェームスのことについて、僕自身あまりも無知でした。
それは大学時代の性急な卒論製作という事情があったためですが、『幽霊を捕まえようとした科学者たち』の中のウィリアム・ジェームスの姿を見ていると、心霊現象を追いかけることが、最終的におそらく宗教家の宗教的体験に結びついて行くということが分かるからです。

「どのページを開いても、預言、霊感、霊姿、悪霊憑き、トランス、法悦、奇跡的治癒、病の所産などの話し」(115ページ)はどの歴史書にも必ず現れる、とウィリアム・ジェームスは気付き、そうした数々の超常現象は、いまだ解読されていない暗号メッセージのようにつなぎ合わされているように思われた、とあります。

 歴史に足跡を残した宗教家の多くは、預言・霊感・トランス・法悦・奇跡的治癒を出現させながら人生を歩みます。だからこそ宗教家なのですが、近代以降の科学の中で、それをどのように評価するのか、どのように解釈するかは大きな問題です。

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読みながら思うのは、心霊現象あるいは怪奇現象が、ある人にとっては心霊現象あるいは怪奇現象そのものとして受け入れることのできる事実であるけれど、ある人にとってはまやかし、あるいは勘違い、さらにはペテンであるとういことです


『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(3) [宗教]

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』に登場する科学者は
幽霊・心霊現象が本物のか、偽物なのか、なにかのトリックなのか
証明しようとします。

例えばMr.マリックさんのマジックを、科学者がずらりと並んで見つめ、
それがマジックなのか心霊現象なのかを証明する、
スピリチュアルの江原啓介さんがズバリと見抜く、相手の経歴などに
どこかウソがないか、調べ上げるといった感じです。

そうすると、トリックが見付かったりして、単なる手品・マジックであることが発覚もしますが、
例えば霊媒が全く知らない、死んだ人の事を
霊媒が見事に語るということなど、証明できない不思議なことも
確かにあるのです。

なるほどな、と思うのは、霊媒が霊を呼ぶのに行うのが
「降霊会」であるということです。
主人公のウィリアム・ジェームスはアメリカ人ですが、
その他の登場人物の大半はイギリス人で、
ケンブリッジ大学の教授であったりします。
なんだか、降霊会というのはイギリスらしい風景のようにも思えます。

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』の時代は十九世紀です。
十九世紀は十八世紀に始まった産業革命が本格化した時代で、
科学の世界も飛躍的に発展する。

ダーウィンが「種の起源」を発表し進化論を世に問い、
進化論のもう一人の生みの親であるラッセル・ウォオレスも19世紀に大きな影響を与えます。
フロイトが精神分析を学問として世間に発表するのも19世紀。

エジソンやキュリー夫人もこの時代の人です


『幽霊を捕まえようとした科学者たち』(2) [宗教]

『幽霊を捕まえようとした科学者たち』の主人公であるウィリアム・ジェームス(1824~1910)のことを知ったのは大学生の時のことです。

 それはウィリアム・ジェームスの著作、『宗教的経験の諸相』との出会いでした。その時から今に至るまで、自分に内在している大きな課題は「宗教的体験」とは何だろうか、ということです。
 その「宗教的体験」の解釈に大きなアイデアを与えてくれたのが、ウィリアム・ジェームスの『宗教的経験の諸相』です。
 しかし、この『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読むまで、ウィリアム・ジェームスがゴースト・ハンター、つまり心霊現象の研究に深く関わり合っていたということは知りませんでした。
 知らなかった理由は、僕自身がウィリアム・ジェームスがどのような学者なのか、ということを調べなかったからに他なりません。
 ただ、自分の研究テーマに都合の良い解釈を与えてくれるのが『宗教的経験の諸相』であったということでした。

 この『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読み始めて驚いたのは、ウィリアム・ジェームスが物語の主人公であったということです。卒論の時にお世話になったウィリアム・ジェームスです。

 ウィリアム・ジェームスの『宗教的経験の諸相』では、簡単に言えば、宗教的な神秘体験が実際に起こりうるということ、その神秘的な体験が宗教家にとっての大きな転機となる、というようなことが書かれていたと思います。
 しかし、その神秘的な宗教経験は、傍らから見れば、意味のないことかもしれません。気が触れた、変になったとしか思えないかもしれません。
 ウィリアム・ジェームスは『幽霊を捕まえようとした科学者たち』の中で、宗教家ではない、一般の人、あるいは職業霊媒、手品師(?)が出現させる心霊現象を解明することで、心霊の実在を証明しようとするのですが、それは宗教家の宗教的経験を裏付ける証明にもなったはずです。

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「幽霊を捕まえようとした科学者たち」(1) [宗教]

デボラ・プラム著の
「幽霊を捕まえようとした科学者たち」(文藝春秋刊)読了。
原題は「GHOST HUNTERS(ゴースト・ハンターズ)」。
いわゆる心霊現象やテレパシーなどの実在を検証・実証しようとした、
19世紀の科学者達の物語です。

著者のデボラ・ブラムさんはピューリッツァー賞を受賞した実績もあるサイエンスライター。
サイエンスライターとしての立場から
「アンチ・ゴースト・ハンターズ」、つまり心霊などの実在を否定する
科学者も登場します。

19世紀という時代も反映しているのでしょうが、
現代の日本に喩えるなら、
東大や京大の教授が、実証を通して真剣に心霊の存在を語り合う
という感じです。

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靖国神社参拝について 祟りを畏れるということ [宗教]

 総理大臣や閣僚の靖国神社参拝にあなたは賛成だろうか、反対だろうか。
 それにしても、どうして御霊信仰という伝統的な立場が、靖国神社参拝に関して語られることがあまりないのか不思議でならない。祀らなければ祟る、悪いことが起こる、つまり戦争が再度起こる可能性を、御霊が起こす可能性があるという、日本の伝統的な信仰についてである。
 靖国の政治的背景、歴史的背景については多く語られるが、最終的には日本の宗教土壌に根ざしたことであり、そのことがたまには語られた方が良いのでないだろうか。
 もちろん、政教分離という大切な約束事があり、政治家がこのことを語るのは難しいことは理解できるが、「ちゃんと戦没者の霊をお祀りしなければ、霊が祟り、さらに悪いことが起こることがある。A級戦犯を祭祀する理由は、彼らの霊が祟らないようにするためである」と説明することは出来ないのだろうか。
 政治家が説明できないのであれば、神職はそのことを説明した方がよい。後述するように、それは御霊信仰という伝統的な日本人の宗教観によるものだからだ。

今年、八月十五日、靖国神社に参拝した閣僚は武市大臣だけであった。小泉氏が総理大臣であった時には、小泉総理の靖国参拝を巡って随分と議論が起こり、中国・韓国までを巻き込んで外交問題にまで発展したが、今年の夏は随分と静かな夏となった。

靖国神社で問題視されているのは、A級戦犯合祀ということになっている。ここ数年は、靖国神社の歴史的な背景や正当性、A級戦犯合祀についての賛否も様々なマスコミが取り上げてきた。しかし、どこかその議論が遠いものに感じられることも多かった。

天神社、天満宮は菅原道真の霊がもたらす災いや祟りを怖れ、その魂と鎮めるために造られたことはよく知られている。
菅原道真は平安時代の貴族。中流貴族に家に生まれ、文章の才能、政治家の才能があったことから宇多天皇の信任を受け出世。ところが藤原氏などの貴族の反発を招き、自分の娘婿を皇位に付けようと図ったと誣告され(醍醐天皇の皇位を奪おうと謀ったとされた)、九州太宰府に流罪となり、その地で憤死した。
 道真の死後、時の醍醐天皇の皇子は次々と病死。都には異変が続き、さらに朝議中の清涼殿に雷が落ち、多数の死傷者が出た。
 その一連の異変を都人は、道真の祟りであると考えるようになる。考える、というより、道真の霊威そのものをそこに感じたに違いない。
 朝廷は道真を復位させ、さらには太政大臣の位までを追贈する。それでも恐れを感じる貴族達は、道真を祀る社殿、現在の北野神宮を建てる。
 御霊信仰、すなわち非業の死を遂げた人の霊を鎮める宗教的な習慣は平安時代に明確なものとして生まれる。
 
靖国神社参拝に関しては「追悼」「平和の祈り」ということが言われるが、非業の死を遂げた人々の霊に対しての畏れは全く語られることがない。
 A級戦犯に関して言えば「祀らないと祟る」「再び悪いことが起こる」という日本の伝統的な宗教習慣をもっと説明するべきであると思うがいかがだろうか。祀らなければ、再度戦争が起こるかもしれない、もっと悲惨なことが起こるかもしれない、というのが日本の伝統的な宗教習慣だ。
 祀ることにより日本が再度戦争への道を進むのではなく、祀らないことにより戦争の道を進む可能性がある、ということになる。「二度と戦争を起こさない」という祈りの意味がここにある。

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バーチャル [宗教]

会社のパソコン総入れ替えのため、
ここしばらくパソコン家電の量販店に何度か足を運んでいますが、
大画面で繰り広げられるゲームは凄いですね。
もうめちゃめちゃバーチャル。
プロ野球も、戦闘機物も、未来神話ものも凄い。

仏壇も一種のバーチャルなわけですが、
どうなんでしょうね。


明日があるという奇跡 [宗教]

昨晩、「余命一ヶ月の花嫁 乳ガンと闘った24歳最後のメッセージ」
というドキュメントをTBSで放映していました。

大好きな太郎さんと今春四月に模擬結婚式を挙げ、
その一ヶ月後に逝ってしまった千恵さん。

明日がある奇跡、という言葉は千恵さんのもの。

今日を迎え、明日をまた迎えるということ自体が奇跡なんですよね。

当たり前のことが当たり前ではなく、
日々新鮮なものとなり、心に響く。
本当の感謝や深い喜びはそこから生まれてきます。

僕は、様々な宗教的な奇跡・奇蹟を信じ、肯定していますが、
その根本にある奇跡・奇跡は、日々生きているということ。

そのことは、例えば病気になったり、事故や災害に遭えば
すぐに分かることです。


牡丹燈籠 [宗教]

 怪談の存在は仏教理解にとってなくてはならないものであった。教理教説よりも、優れた怪談のひとつが、より多くの人に仏教への理解を与えてきたが、最近は怪談話を耳にする機会がめっきり少なくなったように感じる。
怪談話としてよく知られるのは「四谷怪談」「番町(播州)皿屋敷」そして「牡丹灯籠」だろうか。

 四谷怪談ではお岩さん、「番町(播州)皿屋敷」ではお菊さん、そして「牡丹灯籠」ではお露さんがそれぞれ幽霊の主人公。怨みを残した女性が化けて出るというのがパターンではあるが、今回紹介するのは岩波文庫から出ている「牡丹灯籠」。

 「牡丹灯籠」は幕末から明治時代にかけて活躍した落語家・三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう・1839~1900)が語ったことで一躍有名になったが、最も知られた場面は、旗本の娘のお露の幽霊の登場場面。少し長くなるが引用する。

「それからはお嬢の俗名を書いて仏壇に備え、毎日毎日念仏三昧で暮らしましたが、
今日しも盆の十三日なれば精霊棚の支度などをいたしまい、
縁側へちょっと敷物を敷き、蚊遣りを薫らして新三郎は白地の浴衣を着、
深草型の団扇を片手に蚊を払いながら、
冴え渡る十三日の月を眺めていますと、
カランコロンと珍しく下駄の音をさせて生け垣の外を通るものがあるから、
ふと見れば、先きへ立ったのは年頃三十位の大丸髷の人柄のよい年増にて、
その頃流行った縮緬細工の牡丹芍薬などの花の附いた燈籠を提げ、
その後から十七・八とも思われる娘が、髪は文金の高髷を結い・・・・」

 先に立ったのはお露の召使いのお米。手に提げるのが牡丹燈籠。お米に続く十七・八の娘が旗本の娘お露。二人とも、すでにこの世の人ではなく、この後、新三郎に取り憑き、新三郎の命さえも奪うことになる。
 この「牡丹燈籠」には、様々な仏教の考えが登場する。幕末から明治にかけての日本人は、因果応報・輪廻転生、仏の加護などの考えを共有していたが、怪談話はその共有を作り出すひとつの大切な要因であった。

 そうしたことも忘れられがちではないだろうか。


泰山府君と赤山禅院 2 [宗教]

 新羅神と並んで帰朝後にお祀りするようになったのが泰山府君です。泰山府君に対しての信仰は円仁の時代、山東半島でも盛んでした。
 そして、泰山府君としてお祀りしたのが、赤山明神です。現在、京都・修学院にある赤山禅院がまさしく泰山府君なのです。この赤山禅院では毎年11月23日に京都珠数製造卸共同組合主催の珠数供養会が開催されています。

 赤山禅院は中国・山東半島威海市にもあります。にもあります、というよりも中国の方が本家ということになります。
 威海市は山東半島の北部(山東半島の付け根にはビールで有名な青島市があります)にある港町です。
 実はこの威海市、仏壇の一大生産地です。もちろん日本向けの仏壇です。今からやく十年前に、この山東半島に韓国の仏壇メーカーが進出、工場を建設、山東半島における仏壇生産がスタートしました。現在では山東半島の十カ所に仏壇の工場があるとされています。

 山東省威海市の赤山禅院は法華院という寺院の境内にあるようです。行ったことがないので、はっきりとは分かりませんが、石島赤山風景名称区というホームページに、赤山禅院、法華院などのことが詳しく紹介されています(赤山禅院は法華院の西百メートルにあると書かれています)。また、円仁のことも紹介されています。

 前述した通り、威海市は朝鮮半島と海を隔てて近かったところから、円仁の時代で言えば新羅の人がたくさん住んでおり、商業活動を行っていました。歴史的に、新羅の人達が住んでいた処は新羅房と呼ばれていました。


泰山府君と赤山禅院 1 [宗教]

閻魔さまと聞くと、地獄の主というイメージがありますが、
どうして閻魔さまが地獄の主になったのか言えば、
インドの神話(「リグ・ヴェーダ」)において、閻魔さまは人間初の死者なんですね。
それではじめて冥界にいったものですから、「おまえがこれから冥界の主になれ」と
言うことになったようです。

中国にも冥界の主である、泰山府君(たいざんふくん)がいます。
中国には五岳と呼ばれる道教の聖山がありますが、
泰山府君はこのうち山東省・泰山に棲む神です。
ちなみに泰山はユネスコの世界遺産にも登録されています。

泰山の山頂には人々の寿命を記した帳面があるそうですが、
泰山への信仰は広く中国の人々の心をとらえて来ました。

平安時代、円仁という天台の僧がいました(794~864)
15歳で比叡山(延暦寺)に上り、最澄の下で学び、838年に遣唐使船にのり、唐に渡ります。
この時、円仁は山東省山東半島に滞在します。

山東半島は、海を隔てて朝鮮半島が間近なところで、
現在でもたくさんの韓国企業が進出しているところです。
円仁がこの地に滞在した時にも、たくさんの朝鮮半島の人々が山東半島に住んでいました。
円仁の時代で言えば新羅の人です。円仁は新羅の人たちに大変にお世話になったとし、
帰朝後、新羅神をお祀りします。

新羅神と並んで帰朝後にお祀りするようになったのが泰山府君です。


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