SSブログ

映画「五月の恋(五月之恋)」を見る [映画]

昨晩は、見るともなしにNHKBSの映画「五月の恋」を見てしまいました。
主演は阿磊を演じる陳柏霖と瑄瑄を演じる劉亦菲。
監督は徐小明。

実はストーリーを完全に理解できていないのですが、
見始めて「あれ?この女優さんって誰」とまず目が釘付け。
彼女は劉亦菲さん。キャリアを調べると、北京電影学院とありますので、
演劇エリートですね。
「まるで仙女のような」という形容が付く女優さんだそうです。

陳柏霖は「藍色夏恋」(藍色大門)に出演していました。
この「藍色夏恋」は以前、このブログでも紹介しました。

中国東北部・哈爾浜(ハルピン)に住む瑄瑄は
台湾のバンド「五月天」のファン。
そして阿磊は五月天ボーカルの阿信の弟。
五月天へファンメールを阿磊は「僕はボーカルの阿信」と返事を出してしまいます。
そのメールを受け取ったのが瑄瑄。

瑄瑄は台湾の三義に咲くという「五月の雪」を見たいと言います。
そして彼女は京劇の役者で、台湾に公演に来るのですが・・・・

ここから物語が展開して、祖父の代の話しが絡まります。
台湾には共産党との戦いに敗れ、台湾へと逃げ込んできた国民党の人たちがいます。
彼らは外省人と呼ばれていますが、もちろん故郷は大陸なわけです。

大陸国民党が台湾にやって来た頃の映画としては
「悲恋城市」があります。
台湾国民党が台湾人を虐殺した白色テロ。

ということは別として、劉亦菲の目の美しさ!
彼女はブログを開いていますので興味の有る方はどうぞ(中国語ですが・・・)

http://liuyifeimusic.blog.sohu.com/

映画のシーンを多数掲載
http://www.mtime.com/movie/17061/

081022-4.jpg

081022-5.jpg


映画「夏至」に見る先祖祭壇の供養 [映画]

先日、ベトナムを舞台にした映画「青いパパイヤの香り」
に登場する仏壇のことを書きましたが、
今回は同じくベトナム・サイゴンを舞台にした「夏至」を。

実はこのDVDのパッケージに
「母の法事・・・」という文字があり、
その言葉に惹かれました。

ベトナムの法事ってどんなものだろう。
この「夏至」の中で出てくる法事シーンは一瞬です。
タンスの上が祭壇となっていて、
そのタンスの前にテーブルを置き、
テーブルの上には供物を載せたたくさんのお皿が並びます。

その祭壇に向かって、この映画の主人公である三姉妹と兄、
そして三姉妹の長女の旦那が、次女の旦那が次々に祭壇に向かって拝します。
長い竹線香を両手で持ち、頭の前に掲げて
3回ほど頭を下げます。
これは中国スタイルの拝し方ですね。

映画そのものは、女性を巡る恋の物語。
長女の旦那はフォトグラファーですが、
なぜかハロン湾に浮かぶ水上の家に愛人と子供を持っています。
長女は長女で若い男と無言の逢瀬を重ねています。

次女の旦那は作家(売れない作家か?)。
次女は妊娠するものの、旦那の作家は出張先で、次女の同級生と不倫。

三女は大学生と出来てしまい、妊娠。
実はこの三女、兄と同居しておりベッドも並べてあり、
一瞬、この二人は出来ているのか?と思ってしまいます。

監督は「青いパパイヤの香り」と同じトラン・アン・ユン。
我々が考えるベトナムの色と光と風と湿気が満ちあふれています。

それにしても、「夏至」も「青いパパイヤの香り」でも
台所は外で、それも地べたに座って調理するというスタイル。
竈も外。エキゾチックではありますが・・・・・

080907geshi.jpg


異界と隣接する世界を描く宮崎駿監督 [映画]

宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」が大ヒットしている。
ぼく自身はまだ見ていないのですが、
メッセージがシンプルに伝わってくる、
楽しい映画なのだと思います・

昨日の読売新聞朝刊には宗教学者・中沢新一氏による
「折り返し点のポニョ」という
論説が掲載されていました。
「折り返し点」
というのは、宮崎監督の
「この映画は自分にとっての『折り返し点』」という言葉に因むものですが、
中沢新一氏の宮崎作品に対しての論説は
なかなか魅力のあるものでした。

「思えば、数多い宮崎作品はつねに
死の世界の近くにあるものばかりを描いてきた。」

死の世界、といよりも隣接する異界、といった方がよいかもしれません。
我々は、死の香りのする隣接異界に接したとき、
誰しもが妙な興奮を覚えるのです。

仏教では四十九日ということを言います。
人は亡くなった後、四十九日間を経て
次に生まれ変わる世界が決まる、というのです。
その間、冥界では閻魔大王も登場し、
亡者はお裁きを受けながら、次の生まれ変わりを待つことになります。

この四十九日の間、亡者の家族は
異界とまさに隣接する時間を過ごすことになります。
四十九日という間は、死んだけど、生まれ変わっていない期間です。
つまり、死ぬということは、生まれ変わることで完結するのです。
その間の宙ぶらりん間は、よく考えてみると、
変なものです。

それにしても、どうして四十九日という時間なのでしょう。
一週間単位で×(掛ける)七サイクル。
それは、異界と親しく隣接期間として、最適なのでしょう。

お仏壇もまた異界と隣接するものです。
私たちは、異界との隣接間の中で、
実は精神の安定を得るのです。

中沢新一氏は次のように語ります。
「(宮崎作品を通して)現実を支配する力強い生命だけの世界を抜け出して、
弱者や死者とともに生きて行くやさしさを学んできたのだ」

これは本当に意味のある言葉だと思います。

お祓い箱 [映画]

不要になったものを捨てることや、職を追われることを
「お払い箱」と言いますが、
この「お払い箱」は元々「お祓い箱」が語源だったとのこと。
先日、調べ物をしていて初めて知りました。

伊勢神宮のお神札を「お祓いさん」と呼ぶのですが、
この「お祓いさん」は年末年始に新しいものにするのが通例。
それで旧くなったお神札を入れる箱が
「お祓い箱」だそうです。


以上のことはネットで調べるとすぐに分かるのですが、
専用の箱があったのかどうかが分かりません。
どうもそうではないようですが・・・・

どなたかご存じの方がいれば教えて下さい。

中国の小さなお針子 [映画]

昨日は、DVDで「中国の小さなお針子」を見ました。
文化大革命の時に、四川省の山奥に下放された二人の青年と、
下放先で出会う可愛いお針子さんの物語です。

下放とは1960年代、毛沢東の文化大革命の時代、
知識人やお金持ち、ブルジョワとされた人、地主階級、
そして反中国共産党と見なされた人々が
地方の農村に送られ、そこで労働を半ば強制されたことを言います。
もちろん、僕にはその頃のことが具体的に分かるわけではありません。

この当時のことを描いた小説には「ワイルドスワン」(張戎著)があり、
日本の連続ドラマでは「大地の子」があります。

僕自身は、今から約十年前、中国の田舎町で
下放されてそのままその土地に住み付いたという女性と
少々を会話をしたことがあります。
その時の彼女の話は、非常に興味深いものでした。
また、誰かと話しをしていて、この下放に話になることが
何度かありました。

さて、映画「中国の小さなお針子」では、下放生活の凄さよりも、
むしろ、二人の青年が送り込まれたシャングリラのような中国奥地の風景が
それも相当美しい、印象的です。

お針子さん役は、周迅さん。
彼女は浙江省の出身だそうですが、
映画のホームページのインタビューには四川省出身あります。
さて、どちらなのでしょうか
下の写真は、結婚雑誌の表紙を飾った彼女です。

080805zhouxun.jpg


話の内容はもちろんのこと、
現代の中国からは想像できないような
その山野の風景が魅力的な映画です。

080805.jpg

カン・ドンウォン 「私たちの幸せな時間」 を見る [映画]

昨日は、カン・ドンウォンとイ・ナヨン主演の『私たちの幸せな時間』をDVDで観ました。

 カン・ドンウォンが韓国、そして日本で非常に人気のある俳優さん(モデル?)ということは初めて知りましたが、彼の役(チョン・ユンス)は死刑囚。もちろん殺人犯です。

 刑務所の中の慰問で知り合うのがイ・ナヨンが演じるムン・ユジョン。経済的に恵まれた家庭と家族の中で育ったイ・ナヨンですが、心の中には深い傷を負っています。画面に登場した時から、彼女の自暴自棄(やけくそ)な行動、自分さえをも傷つけてしまう行為が、その傷を感じさせます。

 ストーリーは最後、チェン・ユンスに死刑が執行される瞬間まで続きます。
自分が犯した罪に対しての謝罪、そして刑務所の中でお世話になった人へのお礼。
やがて両脇を抱えられ、首に縄が掛けられ、頭から袋が被せられます。チェン・ユンスは「国歌を歌っても怖いよ」と泣きます。関係者と執行部屋との間のカーテンが引かれ、踏み板のガタンとはずされる音。チェン・ユンスの体が宙に浮いてしまったことを、その音は知らせくれます。

 最後のお別れの時、チェン・ユンスはムン・ユジョンに「愛しています、姉さん」と叫びます。

 この一幕は加賀乙彦の小説『宣告』を思い起こさせるものでした。

 映画のテーマは死刑ではありません。そこにあるのは、自分の罪を認めること、人の罪を許すことにあります。
 
 チェン・ユンスは刑務所の中の面会室で、自分が殺した女性の母親と面会したその瞬間に、自分の罪を悔悟しますが、実はそこに至るまでに、ムン・ユジョンとの出会いがあります。
 チェン・ユンスはムン・ユジョンと会うことを希望していました。

 チェン・ユンスは捨て子です。兄弟で捨てられました。そしてチェン・ユンスの弟が国歌が好きだったのです。
国歌を聞くと元気が出るといって・・・・弟は地下道で死んでしまいます。
新聞紙にくるまって隣で寝ていたチェン・ユンスが起きたとき、弟は軽く泡を吹いて死んでいました。
 二人が街で一緒に聞いた国歌。
 ビルの大きなスクリーンに映し出されれた野球の開幕式。
 そこで一人の女性歌手が国歌を唱います。彼女こそがムン・ユジョンでした。

 死刑が執行されると決まった時、ムン・ユジョンは母を許します。
そこに隠された秘密は是非映画をご覧下さい。
許すことで、奇跡、つまりチェン・ユンスが助かるという奇跡を神に望んだのです。
 
 映画のバックを支えているのは、カトリックの世界。
韓国でキリスト教が盛んであるととは聞きますが、これほど精神性の高い映画を作りだすことができるとは凄いと思います。
でも、罪を告白し、許しを乞うのは、神父やシスターではなく、チェン・ユンスとムン・ユジョン同士でした。そこが、妙に宗教臭くならかった理由です。

 いつかチェン・ユンスとムン・ユジョンのハッピーエンドのラブストーリーを観てみたいと思いました。

 http://www.shiawasenajikan.jp/

 http://www.chosunonline.com/article/20060909000027

そのときは 彼に よろしく [映画]

昨晩は、映画「その時は彼によろしく」をDVDでみました。
なかなかの秀作。

舞台の一つはアクアプランツ、つまり水草屋さん。
熱帯魚を飼うとき、水草は必要となりますが、
ここではお魚は全く登場せず、ひたすら水草がゆらめく水槽が登場。
林や森の木々は揺らめくときに音を出しますが(枝がぶつかり、葉がこすれる)、
水草の揺らぎは無音。
その無音のゆらぎの中で、主人公の智史(山田孝之)と花梨(長澤まさみ)が
13年ぶりの出会いを果たし、そこからストーリーが展開。

言葉の静かな、荒げる言葉の登場しない、映画です。

花梨は眠りから覚めない、という病気にかかり、映画の最後のところでは眠り続ける
彼女の姿が何度も登場。
彼のキスや涙で目が覚めるというありきたりの展開でありませんでした。

調度同じ頃、死に行く智史のお父さん。

眠りから覚め、アクアプランツの前で智史と抱き合う花梨は言います。
「夢の中でお父さんと出会った。お父さんが帰り道を教えてくれた。
息子に会ったら、その時は彼によろしく」

http://www.sonokare.com/

映画のオフィシャルサイト。
昨年夏の映画です。

「おばあちゃんの家」を見る [映画]

NHK・BSで韓国映画「おばあちゃんの家」を見ました。

いやー、驚きました。
何げなく見始めた映画でしたが、
おばあちゃんの存在感に圧倒されました。
すごい。
宮崎駿監督のアニメにそのまま登場させたいような
おばあちゃん。
舞台となる韓国の山村の貧しさもすごい。
2002年に制作された映画のようですが、
これだけのおばあちゃんと山村を見つけた監督さんは偉い。

映画のあらすじは、ソウルからやってきた少年サンウと
その祖母の話で、祖母がすごい存在感のおばあちゃんなわけです。
口はきけない、耳は遠い、そして目もよく見えないおばあちゃん。
孫のわがままをなんとか叶えようと、頑張ります。
孫がフライドチキンを食べたい、と言えば、
鶏を持ってきてしまう・・・・
現金収入は、野菜なんかを売った代金に頼っているようですが、
韓国の年金制度はどうなっているんでしょう。
そして文盲です。
少し昔のことになりますが、ある場所で文盲の若い女性と出会ったことがあります。
そのときは、結構衝撃を受けました。
知識としての文盲の存在はもちろんあったのですが・・・

先日、参列したあるお葬式で
久しぶりに腰のまがった、しわくちゃ顔の、そして日に焼けたおばあちゃんを見ました。
僕の近所ではなかなか出会うことのないおばあちゃんです。
うちの近所のおばあちゃんは、結構格好いい、サングラスなんてかけた
おばあちゃん、というよりご婦人が多く、
腰のまがったおばあちゃんなんてまず見ることがありません。

これからの少年少女は、腰のまがった老人を見たら、
なんかの病気、と思うかもしれませんね。



忘れえぬ思い セシリア・チャン [映画]

連休中に見た(DVDや録画しながら見ていなかったもの)映画の中で
良かったのが、「忘れえぬ想い」。
原題は「忘不了」。普通話では「ワン ブ リィァオ」。直訳で忘れることができない、です。
セシリア・チャン(張栢芝)主演の香港映画。
監督はイートンシン(爾冬陞)。

セシリア・チャンは細面(ほそおもて)の美人女優さんですが、
緊張感のある、そして少しとんがった感じが、香港(広東)の人という印象です。

映画のもう一つの主人公がミニバス。
シウワイ(セシリア・チャン)は雨夜、婚約者が運転するミニバスのピックアップを
一人待ちます。
そして、交差点でのミニバスの衝突事故。交差点での出会い頭の衝突事故で、この場面は結構凄みがあります。
婚約者はこの事故で死んでしまいます。そして、その場所に居合わせることになった。ミニバス運転手仲間のファイ(ルイス・クー)。

婚約者には男の子ロロがいます(この男の子の演技が上手。調べて見ると中国人と日本人のハーフ。日本名は原島大地君)。

シウワイは婚約者の子供であるロロを、ミニバスの運転で稼ぎながら育てようと決心。そのシウワイを何かと助けてくれるのがファイ。

でもファイには妻子がいました・・・。
ロロは孤児院に?・・・

それにしても、香港らしい映画です。婚約者のミニバスの権利をそのまま引き継ぐ、ということが、まず凄い。
そしてミニバスの派手な派手な運転。

ここで登場するミニバスは赤い屋根。赤い屋根のミニバスは乗り合いタクシーみたいなもので乗降自由。運転手さんは腕一本で稼ぎます。そして登場するミニバスにはトヨタのロゴ。トヨタってこんな車を作っていたの?

いつも少し幻滅、というより香港(あるいは中国)だな、と思うのは食事の取り方。お行儀というものがありません。

それでも映画はなかなかの秀作。気持ちのよい小品でした。

映画の公式HPは下記の通りです
http://www.wasureenu-omoi.com/


藍色夏恋 [映画]

一昨日は台湾映画「藍色夏恋」を自宅DVDで見ました。

桂綸鎂(グイ・リンメイ)が演じる女子高生阿孟(モウ)と陳柏霖(チェン・ボーリン)が演じる小士(チャン)の気持ちが交錯するとても淡い、そして深い青春映画でした。
台湾での映画名は「藍色大門」。モンとチェンが数年後(三年後、五年後)に再び藍色大門の前で会えるだろう、というところから名付けられたようです。

映画のテーマのひとつは「秘密」。深夜の体育館でモンはチャンに秘密を告げます。自分は女の子しか愛せないと。モンが好きな女の子は親友のユエチェン。

でも本当にモンがユエチェンのことを好きなのかどうか・・・・。
ユエチェンは小士、つまりチャンが大好きなのです。そしてチャンはモンが好きになります。

舞台は台湾師範大学の付属高校。でも高校生の三角関係、とかそういうドロドロとした映画では全くありません。

夏の台北の街を舞台にした、美しいピアノがバックで流れる、とても淡い物語です。台北夏風のそよぎが心地よい映画です。

陳柏霖は以前僕のブログでも紹介した「関於愛」で伊藤美咲と共演していました。

桂綸鎂はとても存在感のある女優さんです。決して美人ではありませんが、内面からにじみ出る想いを感じさせる人です、

陳柏霖関連ホームページ
http://www.chenbolin.com/
陳柏霖日本版ホームページ
http://chenbolin.jp/www/
桂綸鎂台湾版ホームページ
http://www.gueylunmeifansclub.org/main.html
「藍色夏恋」ホームページ台湾版
http://bluegatecrossing.kingnet.com.tw/


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。