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「わが家のお仏壇物語」掲載中 [仏壇]

お仏壇の思い出、お仏壇への想いなどを
写真とエッセイでまとめて頂いた
「わが家のお仏壇物語コンテスト」。
入選作を小社ホームページで公開中です。

これからお仏壇を購入される方は是非ご覧下さい。
http://www.butsudan.kogeisha.com/

また12月20日より第二回の
第2回「フォトエッセイコンテスト・わが家のお仏壇物語」の投稿受付を開始します。
http://www.butsudan.kogeisha.com/contest/contest.html

乾漆像は平安時代初期になぜ作られなくなったの [仏壇]

今春、東京国立博物館で興福寺展が開催され
阿修羅像それは凄い人気を呼びましたが、
阿修羅像は乾漆技法によって製作されました。

阿修羅は乾漆八部衆立像のうちの一体で、
この他、乾漆技法で十大弟子立像も作られました。

ところが、乾漆技法は奈良時代前期に集中し、
その後、ほとんど姿を見せなくなります。

続く平安時代初期は一木造り(一木彫)の時代となります。

興福寺付きの乾漆職人集団が存在していたはずですが、
彼らは、阿修羅制作の後、どうしたのでしょうか。

両家の位牌を同じ仏壇にお祀りする [仏壇]

 昨朝の産経新聞(首都圏版)18面「きのうきょう」のページに「般若心経」という投稿が掲載されていました。投稿の主は神戸市須磨区にお住まいの73歳の女性。
「位牌の一体もない仏壇には、夫と私の実家の過去帳が納まっている」という内容のもので、周りには「嫁ぎ先の仏壇に実家の仏を祭るなんて」「仏同士が張り合って優劣ができるから絶対によくない」という反対の声もあったが、「ご先祖をお祭しようとする心が大切」という住職の一言で、両家の過去帳をお祭えりすることになったという。
「母も義母も今でも私を見守ってくれる」と投稿主は語り、般若心経を唱えて一日の無事を祈ると締めくくっています。
 嫁ぎ先の仏壇に実家の位牌や過去帳をお祭して良いのか。全く問題ありません。問題を起こすのは、それをお祭する人の心であり、ご先祖様自身が問題を起こすことはありません。
「でも宗派が違うんですけど」という場合も当たり前にあります。両家の宗派は違っていることの方が多いはずです。この場合も、問題はありません。

仏壇店に行ってみよう
http://www.butsudan.kogeisha.com/

仏壇業界の業(ごう) [仏壇]

業深きもの達へ

 「佛に値札を付けるとはなんと業深きこと」というニュアンスのことを記したのは直木賞作家の車谷長吉。姫路出身の車谷は、幼少の頃、祖父か祖母あったかに連れられて姫路の別院に通い、その帰り道に仏壇店によることを常にしていたが、「ありがたい」という仏像に値札が付けられているのを見て、値札が付いていれば鼻紙と変わらないということを思ったと、何かのエッセイに書いていたことを強烈に覚えている。

 仏壇業界に棲む人たちは、そのことを殆ど思わないようだが、仏像に値札を付けて売買するということは、結構これはこれで業深いことなのかもしれない。

 業界に棲む人々の業、ということについて初めて感じたのは、ある京都の仏師の工房でのことであった。

 現代日本を代表するその仏師の工房は予想していたよりも遙かに大きなもので、たくさんのお弟子さん達が彫刻刀をそれぞれのレベルで動かしていたが、数人の女性がその中に混じっていた。

 ところが、彼女達がこれもまた意外に美しかったのだ。何もこんなところで仏像を刻んでいなくても、十分楽しめ、ちやほやされる時間が過ごせるに、と思ったものだ。

 何が彼女達をそうさせているのか。直感的に思ったのが実は業である。

 前世、あるいは前々世、あるいは遙か過去世の何か縁によってここで仏像を刻んでいるのだろうと。さらに言えば、その光景は過去世の償いようにも見えた。

 仏壇店の人々もまたある種の過去世を背いながら生きているように、時として思うことがある。
 それは過去世の償いなのだが、実際には、さらに業を重ねているように見える。

 車谷がいうように仏像に値札を付ける、ということもさることながら、様々な「あたかも」を交えながら仏壇を販売する。例えばあたかも自社工房の製品、あたかも日本製、あたかも黒檀のように、という様々な「あたかも」だ。また、あたかも「大幅値引き」という実例も無数にあり、業界を悩ませている。

「あたかも」状態で販売することには対しては世俗法令が規制を多少なりとも実施をしているが、業界が自覚するべきことは自身の業の深さについてではないだろうか。

「産地表示?どうしてそんな儲からないことをしないといけないのか?」と面を向かって言われて愕然としてことがあるが、この時はその人の業の深さを感じずにはいられなかった。

 中国やベトナム、インドネシアでは仏壇が作られているが、そこで仏壇を作っている人は、どのような因縁があって、仏壇を作る仕事に関わっているのだろうか。縁もゆかりもない日本人しか祀らない仏壇を彼らは作っているのだろうか。中国であれば仏像や位牌が作られているわけだが、彼はよほど過去世で日本との縁があったに違いないと、しみじみと思うことがある。

 我々の棲む現世は仏教のタイムテーブルに従えば「末法の世」である。親鸞は「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」と末法の世の中を暮らす人々に対して一筋の光明を与えたが、そこにあるのは強烈な悪人意識だ。この悪人意識こそ、現在の仏壇業界に必要なのかもしれない。

 仏壇販売に対して「手を合わせてくれるものを作っている」ということは誇りになるが、それに値札を付けて売っていることは「いわんや悪人をや」の部分だ。

 そう言えば、ごく親しい仏壇店に真宗僧侶の資格を持ちながら仏壇を販売している人がいるが、彼を見ていると「親鸞上人以外の教えでは、この人は救われない」と強く思ってしまう。

 ちなみに自分は、そうした業深き人たちに付属しているような存在で、さらに一層業深い。

仏壇店に行ってみよう
http://www.butsudan.kogeisha.com/
鎌倉花寺巡り
http://www.kamakura.kogeisha.com/

仏壇の品質表示と産地表示 [仏壇]

仏壇店の大半は
厳格な品質表示、そして産地表示をしていません。

その理由のひとつは仏壇は木工製品でパーツが多く、
ひとつひとつの素材に対しての品質表示をすることが難しいことが挙げられます。
でも主要材料に関しては表示すべきでしょう。

産地表示に関しては普通は「日本産」「海外産」の区別なのですが、
仏壇の場合は半分日本、半分海外産という場合もあります。

ですから、表示がなかなか前進しません。

それでも最近は少しづつですが、表示する店も増えてきています。

戒名と俗名(2) [仏壇]

さて、諱(いみな)というのは「忌み名」、
つまり用いることを避ける名前です。

実は、親が付けた名前が諱となります。
田中昭彦さんであれば、昭彦さんが諱で、
この名前を呼んで良いのでは親と近親者、
昔であれば主君などに限られました。

なぜそのような習慣が生まれたのかと言えば、
死んだ後に、本名で呼ぶことを避けるという習慣が
極東アジアでは一般的だったからです。
極東アジアというのは日本・中国・韓国のことです。

本名で呼べば、その魂が蘇るというほどの、
一種の呪術的な要素が感じられます。

そのように考えると、諱という本名は、
その人にとっての魂であるとも言えます。
名前に魂が宿っているのです。

それで、本名以外に、名前を何度も変えるという習慣が生まれました。

例えば幕末維新の時に活躍した
勝海舟は幼名が鱗太郎です。
その後、義邦、安芳と名前を変えて
大観院殿海舟日安大居士が戒名です。

幼名というのは元服するまでの名前で、
元服後の名前が諱となります。
つまり勝海舟で言えば、おそらく義邦が諱です。

戒名はこうした名前の習慣があったからこそ、
人々の間に浸透したと言えます。





戒名と俗名(1) [仏壇]

人が亡くなると、戒名を付けるということが
江戸時代以降、伝統的に行われてきました。

戒名を付ける、ということは、
葬儀式に加えて、それが後に残るための仏具、
つまり位牌や過去帳の整備を伴っていたに違いありません。

最近では戒名なんて要らない、俗名だけで十分だ、
という人も増えているようですが、
その背景には高額な戒名料に対しての批判があります。

それと同時に名前に対してに感覚のズレが、
戒名不要という人を生み出しているように思います。

いま、NHKの大河ドラマで「天地人」を放映していますが、
先日ドラマ中で亡くなってしまったのが上杉謙信。
阿部寛さん演じる謙信は、生涯で名前がいくつも変わりました。

幼名は虎千代で、
通称は平三、そして
長尾景虎、上杉政虎、上杉輝虎、不識庵謙信と名前を変えました。
上杉は姓で謙信は実は戒名です。
それで没後は不識院殿真光謙信となりました。

つまり生涯で名前を何度も変えるということが
当然だったわけですが、
現在は名前を変えることは滅多にありません。
もちろん、芸名や何かのあだ名もあるでしょうが、
名前を変えるためには、家庭裁判所の判断が必要になります。

かつては諱と字という名前に対しての常識がありました。

(次回に続く)



六道の中に先祖を [仏壇]

前回のブログでも書きましたが、
位牌をお祀りするということは、
故人を先祖としてお祀りすることです。

仏教では亡くなった後に六道のいずれかに生まれ変わるとしていますが、
日本の場合には
「先祖として生まれ変わる」という点です。

具体的に言えば、六道+声聞・縁覚・菩薩・仏という十界の世界において、
位牌祭祀をすることで、
先祖は六道の最高位の当たる天と声聞・縁覚・菩薩・仏になる、
と考えることが適当だと思います。

しかし、それは先祖供養によって成立するもので、
先祖を供養しなければ、
先祖は地獄・修羅・餓鬼・畜生の世界に墜ちると考えてきたのでないでしょうか?

あくまでも個人的な直感ですが。

白木位牌から本位牌に代える理由 [仏壇]

 満中陰を迎えると、白木位牌を本位牌に代えます。
 では何故白木位牌から本位牌に代えるのでしょうか?

 仏教ではこのことを説明していませんが、白木位牌から本位牌にすることで、正式にご先祖様に加えられたと言えます。
 中陰とは死んでから四十九日までの間のことを言いますが、この間に故人の生まれ変わり先が決まると仏教では考えます。生まされ変わり先とは地獄、修羅、餓鬼、畜生、人、天のことです。

 地獄とはまさに地獄のこと、修羅とは戦いの世界のこと餓鬼とは飢えの世界のことです。修羅と餓鬼の世界は今でも世界中で見ることのできる世界ですし、日本でもつい百年以内にそのような世界がありました。畜生とは動物のことで、人とはこの人間世界のこと、そして天は天人の世界です(キリスト教の天国とは異なります)

 どのようにして生まれ変わり先が決まるのかと言えば、生前の行いによって決まりまるのですが、実際には亡き人が地獄や修羅、餓鬼に墜ちたと考える人はいませんし、動物になってしまったと考える人もいないでしょう。

 亡き人を位牌としてお祀りするのであれば、動物になってしまっていては困りますし、別の人に生まれ変わっていても困ります。

 亡くなった人を位牌としてお祀りするということは、実は御先祖様になられたということになります。地獄や餓鬼、修羅の世界に生まれ変わったり、別の人に生まれ変わるのではなく、ご先祖様になられたと考えるのが良いでしょう。

 それでは何故白木位牌から本位牌にするのかと言えば、そこで御先祖様としての永遠性を象徴するためです。

 白木位牌は長くお祀りしていると変色して黒ずんできます。しかし、黒塗りの位牌や黒檀や紫檀で作られた唐木位牌は数十年(あるいは数百年)のお祀りの中でも大きな変化がありません。つまり、本位牌は永遠性を意味するものなのです。

 白木位牌から本位牌に代えるタイミングは四十九日を迎える法要の時、あるいは百ヶ日法要、遅くとも一周忌までには代えるようにしましょう。

何代前までのご先祖様をお祀りするのですか? [仏壇]

何代前までのご先祖様をお祀りすれば良いのでしょうか?
ご先祖様は、たどれば限りなくおられるわけで、
位牌も無数に必要ということになります。

位牌の祖型である木主の在り方を定めた儒教の「家礼」では
四世代まで遡ってお祀りをして、その先の御先祖様はまとめるようにとしています。

つまり、両親、祖父祖母、曾祖父曾祖母、高祖父高祖母、ということになります。

それよりも古い先祖は「始祖」としてお祀りするようにとしています。

日本の場合、複数世代のご先祖様をお祀りには、
1)位牌をご先祖様の人数分用意する
2)複数の札板を収納できる繰出位牌を用意する
3)幅の広い位牌に御先祖様の名前を列記する
などの方法があります。

「家礼」では六世代以降のご先祖様については「始祖」としてお祀りするように、
としていますが、
日本の位牌の場合であれば「○○家先祖代々の霊位」とい文字でまとめるようにします。

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